備忘録

皇紀二千六百八十四年

令和六年如月十一日

紀元節(建国記念の日)


日本の誕生日である

紀元節の日は

良識のある日本国民の

皆様方に於かれましては

玄関先に国旗日の丸を揚げて

奈良県橿原市の

神武天皇陵(橿原神宮)を遥拝

皇居遥拝されて

紀元節を御祝して過ごした事でしょう



わたくしめは、と言うと

良識のある日本国民とは烏滸がましいが

お恥ずかしいながらも

一日本国民・一臣民として

朝跨ぎ

身体を清め

玄関先に日の丸の掲げ

神武天皇陵遥拝

皇居遥拝

紀元節の御祝を

奉り祝い申し上げました


その後

近所の神社ヘ紀元節の参拝して

靖國神社ヘ







拝殿前で

国民儀礼

聖寿萬歳奉唱


明治神宮ヘ移動



紀元節には毎年

明治神宮では

紀元祭奉祝パレードが行われる

神宮外苑銀杏並木から表参道・明治神宮前・

神宮橋・五輪橋

マーチングバンドや連合神輿渡御

総勢約六千人が


行進して


御神輿は宮入して本殿前迄練り歩く



















御太鼓を先頭に

各地から集結した

神輿約十基と一基の山車が

表参道、神宮内苑を巡行した



武漢肺炎渦

奉祝パレードは中止や縮小されたが




今年は四年振りに規制の無い

奉祝パレードが盛大に行われ


境内に神輿が宮入り



本殿前で神輿振りが行われた


神輿好きなので


四年振りの

神輿の宮入と神輿振りを見たかったが

この後の予定が詰まっているので

本殿前にて

国民儀礼

聖寿萬歳奉唱をして

後ろ髪を引かれながら


明治神宮を後にして


渋谷・六本木・新橋と

紀元節の啓蒙をしながら流した


夕方

永田町の星陵会館で行われた

第四十回「紀元節奉祝式典」に参列し

君が代斉唱

紀元節の歌を奉唱

聖寿萬歳奉唱して

紀元節を御祝した一日になった



奉祝御神輿渡御の動画
(紀元節の奉祝ムードを味わいたい人、
神輿好きの人は観て下さい)

原宿表参道、明治神宮内苑は

紀元節の御祝ムードで一色だった





この日は

日本の誕生日を御祝して

日本列島津々浦々迄

美しい日本の国旗

日の丸がたなびき

奉祝ムードに包まれた…



…と、書きたいところだが

この日が日本の誕生日だと

知らない只の休日位にしか

思っていない国民も多いだろう


戦後の日本では

反天皇、反皇室、反日の丸君が代、反靖國等

日本の國體を粉砕する勢力がいる

これらの勢力は

共産主義者の確信的左翼や

リベラルと呼ばれる無自覚左翼

が多いが

自由、人権、平和・差別を声高らかに上げて

LGBT理解増進法や男女共同参画を成立させて

選択制夫婦別姓、外国人参政権、

移民保護法、等など

日本の國體を破壊する目的の政策案出し

更に

女性宮家創設、女系天皇、女性天皇等

二千六百八十四年に亘る

男系男子の皇統を女性差別だと

アヤを付けて

天皇の皇統断絶を謀る案を出してくる


これらの愚策に

本来保守の牙城で有るべき自民党迄

賛成する議員が出て来る体たらく

自民党も今や崩壊の危機にあるが

保守の本分を忘れた自民党には

当然の報いだろう

早く解党して

真の保守議員達での新たな党を

結党をしたほうが良い!

又今回の能登半島地震でも

正月休みを返上して現地入りし

被災地・被災者達へ支援活動している

自衛隊に対して感謝するどころか

共産党を始め

護(誤)憲派は

自衛隊を憲法違反の存在と位置付け

自衛隊批判をして来ている

共産党の機関誌「赤旗」が


陸上自衛隊の小林弘樹陸上幕僚副長(陸将)ら


陸自幹部が靖國神社に参拝したことを問題と


した


先日の国会の予算委員会でも


共産党の議員が


自衛隊の靖國神社集団参拝を


憲法違反だと防衛大臣を詰めていたが


国家に殉じた英霊を祀る神社に


現職自衛官が感謝の誠を捧げ


自衛隊の活動への御加護を祈願することに


何の問題があるというのか


自衛隊は我が国には必要な組織だが


日本共産党こそ


我が国には不必要な組織だ



話が逸れたので

戻すが


俺がガキの頃の昭和の御代はまだ

戦前の激動の昭和を生き抜いてきた

明治、大正、昭和初期産まれの

戦前の教育を受けた人々が御健在だったのも

有ると思うが

祝祭日には玄関先に掲げる家が多かった

逆に掲げていない家の方が少なかった

日の丸を掲げない家は

日本共産党や日本社会党、公明党の

ポスターを貼っている家が多く

反天皇・皇室の政党や宗教団体の

支持者や信者と分かり易い構図だった


戦後のGHQによる

戦前の日本を否定して

日本の自虐史観・米国的民主主義の

洗脳教育を受けた自称リベラルの

無自覚左翼や


更に日教組(旧社会党系・現社民、立憲系)や

日教組から分かれた全教(共産党系)の

教師達に

自虐史観は勿論のこと

反天皇・皇室、反日の丸・君が代、反靖國

の反日教育の洗脳を受けた学生が

大人になり第一線で働く様になると

段々と日の丸を揚げない家が増えてきた


紀元節の当日も

子供時代に

日教組や全教の教師等に

洗脳教育をうけた輩が

反天皇、紀元節粉砕デモに参加していた


一月末に日教組研修集会を

札幌ドームで開催していたが

(全教は十八日定期大会開催)

反天皇デモに参加している輩を見ると

六十年代、七十年代の

若い頃に

学生運動盛んな年代の人間が多い


建国記念の日は昭和四年十一年に制定された

国が定める国民の祝日に関する法律によると

「建国をしのび、国を愛する心を養う」

を趣旨に

日本国への愛情を深めるための特別な日

この日を通じて日本の文化と歴史を

より深く理解し、新たな時代において

その精神を守り続けることの大切さを

感じることを目的とした祝日

とあるが

この日をその様に過ごした国民は

少ないたろう

昭和四十一年と言うと

戦後の日教組教育がまだまだ

盛んな時代でもあった

日教組・全教の教師らは自らを労働者と呼び

労働者として現体制の否定と革命謀略の

推進を謀った

自分達は血税である報酬を頂戴し

悠々自適な生活を送り乍ら

子供達へ人間的な教えを施すことなく

反体制運動を洗脳して

子供達を革命戦士に育て上げた

一月末に大きなニュースが入ってきたが

丸の内の三菱重工ビル爆発事件を始め

連続企業爆発事件を起こした

「東アジア反日武装戦線」のメンバー

相島聡容疑者らしき人間が

末期ガンで鎌倉の病院に入院

約五十年の逃亡の末

「最期は本名で死にたい」と

名乗り出て数日後に息を引き取ったが

日教組・全教の優秀な生徒が重信房子であり

中核、核マル、連合赤軍、日本赤軍

反日武装戦線などの

極左暴力集団の面々である

あの時代の若者らは流行り病に罹ったかの様に

共産主義を信じ、暴力革命に狂奔した

活動の正否は兎も角として

彼らは若者の特権でもある

純粋な正義感を貫いた面も

有るかもしれないが


相島聡にしても

連合赤軍の永田洋子、坂口弘にしても

当時学生運動に奔走した若者達全員が

日教組や全教の犠牲者と言っても

過言ではないだろう



紀元節の歌が有る

戦前の日本人なら

老若男女誰もが

教えられ唄えたが

戦後産まれの俺は

もし今の道に入っていなければ

恐らく

そんな歌があることさへ知らずに

生きていたのに違いない

小、中、校時代を通じて

(高校は成績優秀の為に高一の一学期で卒業)

「建国記念日」について学んだ記憶も

「紀元節の歌」教えて貰った記憶も一切ない

「君が代」も同じで

音楽の時間に「君が代」を歌った記憶もない

子供達に「愛國心」(大和心)とは

なにかを教えないのは

世界広しと言えども我が国

日本だけだろう

せめて義務教育の過程で

「建国記念日」「紀元節」の意義を教えるべき

だと思っている

戦後産まれの俺だが

幼稚園の時

「日の丸の旗」は教わり唄った記憶は有る


君が代は

我が家では

幼少期から親父に

天長節、新春皇居一般参賀や

靖國神社参拝に連れて行かれたので

周りの人達が唄っていたので

自然に「君が代」を覚えた

親父とは

思春期に喧嘩して

家をおん出たりして確執もあったが

幼少期に皇居一般参賀や靖國神社に

連れて行ってくれたので

日教組や全教の教師達に

洗脳されずに済んだ

その事には感謝している


それでは


来年の「紀元節」に向けて


「紀元節の歌」を覚えて


唄ってみては如何ですか?


詩は美しい日本語ですが


現代人には


中々難しく意味も分からない


と思いますから


現代語訳も載せます


これだと


紀元節の意義も分かると思うので


美しい日本語を学び乍


是非聴いて覚えてください




二月二十三日は

「天長節」

今上陛下の御生誕の日でございます

天長節には

日本列島が日の丸に染まり

奉祝一杯の一日になる事を願って止まない




天皇陛下萬歳