まいど〜
日本の中心子午線の街明石から
愛と笑いで問題解決
郷 麟子 (ごう りんこ)
またの名を
占い 黒薔薇白薔薇
アメティスタ・八乙女
です
さてさて、「扱いにくい私の息子はインディゴ・チルドレンなのでは?」という疑問の答えを求めて、Kenaz光さんが出店しているイベントに行ったりんこ。
座るやいなや、彼の口から出た言葉、
「息子さんやなくてな、りんこさんがインディゴやで」
いやいやいやいや、私1971年生まれの永遠のセブンティーンやし
「いや、早く来たインディゴもおるねん」
え?ほんま?
え?でも、そや、息子だけやない!私もほぼほぼ当てはまる!
確かに・・・私の中で、インディゴのイメージが尾崎豊やしなあー
なら、私このままやとあかんやん
古い体質の教育・社会的秩序など、古いシステムや概念を壊す役割を担って地球に生まれて来てるのに、
息子のチームで、「こうすべき、ああすべき」って言われて、モヤモヤしてるのに、受け入れてる場合ちゃうやん
そして、息子のことで
「10日以内くらいに動きがありそう。
こうゆう子は、いくら手引っ張ってもあかんで。
まあ、後ろから蹴ったるくらいはええけどな〜」
と言われました。
実際、そのすぐ後に、チームで動きがあり、それが決定打となり、私は息子に伝えました。
「あんたがまだ続けたいなら、応援もするし、サポートも、送迎もする。だけど、私はもうグラウンドには行かない」
それを聞いた息子、今まで何があっても辞めると言わなかったのに、
「わかった、辞めたらええんやな」
え?嘘やん?
彼の中でも、本音と建て前や、媚びたり、といった仲間や父兄の言動が気になっていたようです。
その後、仲間やいろんな方に説得されましたが、彼は決してブレることなく、自分の意思を通し途中退部しました。
私は未だに、あの決断を息子にさせたことが、正解だったのかはわかりません。
私のあの言葉がなかったら、最後まで続けていたと言ってますしね。
ただ、彼は自分の意思で、退部し、公立高校を受験し、そこで野球ではなくソフトボール部に入り、全国大会に4回出場(チームめっちゃ少ないからね)、最後には国体選抜の四番打者を務め、最後の打席をホームランで締めくくりました
「苦しい、我慢」ではなく、「楽しい」を選び、最後の試合の後言った言葉、
「あぁ〜楽しかったぁ」
これが答えだと思っています。
ずっとずっと涙が止まらなかった。
まあ、そんな訳で、あと15ヶ月は我慢するはずだった私は、息子の途中退部により、急に身も心も晴れて自由になりました
あの時、自分がインディゴだと自覚したことは、本当に大きな出来事だったと思います