よく

"優しいね"

と言われる。


自分では、そう思わない。

性格が猫っぽくて

けっこうドライだ。


人様はもちろん

身内にでさえドライだ。



でも、人様には

優しく見えるのだろうし、そう感じるのだろう。

わたしが人様の目にそう映るとき

「 相手を大切にしたい」

と思って行動している時なのかなぁ。



本当の優しさって何ぞや。。。




19才年下の相方と別居して分かったんだよね。


わたし、彼の自立心を摘んできてしまった。

子供扱いしてきた

出来ない人扱いしてきた


別居するとき

彼は自分で部屋を探し即契約してきた。


とても口を出したくなった。


出てきそうな言葉をグッと呑み込んで

彼の行動に手出し口出しするのをやめることにした。


わたしは、ずいぶんと彼に対して

否定の言葉や態度をとって来てしまった。


とても、とても

失礼なことをしてきた。


実は、わたしだって子供だった。

彼の優しさに存分に甘えてさせてもらい

威張っていたのだよ。


相方は、それでも

わたしに寄り添って側に居てくれていたんだ。


わたしなんかより上手に気持ちを表現できる言葉。

わたしと仲良くしていたい気持ちに反して

わたしはどんどん離れてしまって


表面上 夫婦で居ようとしていたって

自分に嘘をつき

相方に嘘をつき


嘘だらけの日常に

お互い限界だったんだよ。


離れて暮らすのは

寂しさを伴い

罪悪感を伴う


わたしは、その寂しさを

誰かや何かで誤魔化さずに

たっぷり味わい

寂しさが心地よくなった。


寂しさはわたしにとって

感じたくない感情だったのに

こんなにも、たっぷり感じて

抱き締める事が出来て

嬉しかった。


相方とは、先日 娘親子と四人で買い物に行ったりして

たまに会うのだが


帰る時は、苦笑いしながら

「寂しい、やっぱり寂しい」

と言う。


「初心に戻りたい」

とも言う。


わたしは、その気持ちに応えようとするなら

それは優しさや愛からではなく

"情"で動くことになる。


それは、相方の為にはならない。

自分の為にもならない。


相方を大切に思うからこそ

離れる事がよいのだよ。


自由と幸せと豊かさを手に入れて欲しいもん。


きっとね、こういうことが

愛って言うのだろう。


パートナーに対して、そんな気持ちなるのが

恥ずかしながら初めてで

この気持ちを大切に大切にしたいんだよ。


まるで

息子達と離れて暮らす時の心情に似ているかも。


相方とは、いろいろあったけど

全てひっくるめて感謝なのだ。


今でも、相方の居ないところで

わたしが楽しんだり

幸せを感じたりすることに罪悪感を感じるが

うん、感じるだけだ。


そして、

相方の居ない生活も

愛しくて

充実している。


相方にとっても

1人暮らしは、良い影響がたくさんある。


離れる


それは、悪いことばかりじゃない。