「ひとの期待に応えようとする」


これ、昔からの私の癖。


これをやろうとするから自分が疲れるし

不満が溜まる。

いずれ嫌になって、逃亡したくなるのよ。


この癖が作動しそうになっているのに気づくってのが大切になってくる。



あとね

「ひとに嫌な気分にさせたくない」


これも私の癖。


自分さえ我慢すれば。の思考。


「本音」を無意識に隠しちゃうの。


それをやっていると

目には見えない埃、垢。の様なものが溜まって行く。


そうすると

自分に鈍感になって、何が「本音」か分からなくなる。


家族だったり

パートナーシップだったり

人間関係

仕事

お金


色々なところで

なんだか上手くいかない人生に……


だって

世界は自分を中心にしてまわっているのに

肝心な自分が置いてきぼりになっているのだもの。


他人ベースの人生になっちゃってるね。




食べ物だって

美味しくないものは食べたくない。

残したい。


なのに、子供の頃

親に「好き嫌いせず、残さず食べなさい」と

躾られてきたとしたら


自分に刻み込まれて

無理してでも食べてしまう現象。←わたしね。


今でも、その傾向があるから

食べたあとに後悔する時がある( ̄ー ̄)


本音は

美味しくない

食べたくない


のに、食べなきゃ

になる。


わたしよりも他人


そんな感じで生きてきた。



書いていて気づいたのだけど


わたし、いつの時代も

家族やパートナーに言えない秘密を作る。

それが普通になっている。

何でだろう。。。って思っていたんだよね。


今さらながら

気づいたよ。


「本音」を隠してしまうから

嘘になり

秘密が出来る。

お金にも困る。


わたしはもっと

相方に本音を伝えたほうが良かったんだ。


相方に良く思われたくて

失いたくなくて


相方の"子供が欲しい"という希望を

あたかも「わたしも欲しい」と同調して

本音を隠して来た。


子供は要らない

子育てしたくない

というわたしの大切な本音をグッと抑えて。。。


きっとね

その時点で歪みが生じてたよね。


そのせいなのか分からないけど

お金の問題

娘の問題

色々あったもん。


去年、相方と子供の事でキチンと話し合った。


未だに


ゆうちゃんとの子供が欲しかった。

孫が俺たちの子供だったらなー


なんて事を言っている。

わたしは嫌な気持ちになる。



たったひとつの本音を隠すことで

新しい本音も隠す

雪だるまのように膨らんで


嘘だらけの生活になっていた。


相方に頼る

これも、出来ていれば良かった。


結局、突っぱねていたもんな。



今からでも。。。とは思わない。


生活様式に違いがありすぎて

一緒に生活するのに疲れてしまった。



「本音」

常に、ここに意識を向けて

丁寧に生活して行く。


それが、人生を豊かにしていくのに

必要なことなのかもね。


そう、

いい加減

嘘つきは嫌になったのさ。


秘密も持ちたくない。


堂々と行きたい。