皆様、こんばんは♪
ファイターズガール4年目、あすみんこと藤原明日美ですおねがい
うらんのおひざに乗りたいな〜おねがい

さてさて北風すさぶ季節、皆様お元気にお過ごしでしょうか?(>_<)
いよいよクリスマスも近づき、ポインセチアの美しい紅色が華やかに感じますねキラキラ

私事ですが先週、お引越しをしましたキョロキョロ
一人暮らしは初めてで、生活のささいなことすら分からないことばかりで、改めて母の偉大さというものを痛感しています。

そして、一人でぽつんと家にいると、今まで自分が思っていた以上に、
大きな愛に包まれて暮らしていたんだなあということが分かります。
これからも、家族や周りの人を大切にしようと思いますハムスター
(新居でお気に入りのロフトスペースですキラキラ)

さて今日のブログのタイトルを見て、びっくりした方、あるいはハテナが並んでいる方も多くいらっしゃるかもしれません。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、ファイターズガールのブログにおいて、来季の継続や自身の卒業に触れることはできません。
それゆえ、継続もしなければ卒業もしない形で書く必要があるため、
このタイトルや、これから書くことは、もしすでに何かの情報を得てしまっている方からしてみると、もしかしたら不思議に思える内容かもしれません。

私自身も、今回のブログで何を書けばいいのか正直今もあまり想像がついていません。
楽しい思い出の上辺だけをなぞることはとても簡単ですが、
もしこのブログが今シーズン最後としてではなく、ガールとしての最後のブログになってしまったら悲しいので、
書ける範囲で、いま思っていることや書きたいことを、なるべく書きたいと思っています。

そこで、自分なりに考えた結果として、今回のブログでは三つのことを書こうと思います。
(特にしっかりと分けることはせず、何となくこの順序で書いていこうと思います)

・野球との出会いについて
・もしいつかファイターズガールを辞める日がきたら
・今シーズンのお礼

野球との出会いについては、自分の心の中であまり人に触れられたくない部分が含まれており、きちんと話すことを意図的に避けてきたことなのですが、
今の自分の根幹となる部分なので、やや重いですが書いてみようと思います。

ファイターズガールを辞める日がきたら については、まだ卒業するかどうかは分からないものの、いつか卒業する日が来ることを想定して書いてみようと思います。

相変わらず圧倒的な読みにくさのブログですが、あすみんに何年も訓練されてきたプロのあすみんブログ読者の皆様ならきっと読み進められると信じています。
いつもより少しだけ長くなりますが、どうぞお付き合いください。

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私と野球の出会いは、大学3年生の時でした。
しかし、根本的なきっかけとなるできごとは、もう少しだけ遡ります。

7年前、高校2年生の3月。
東日本大震災が起き、当時仙台に住んでいた私は母と二人で実家で被災しました。

あの時の恐怖はきっとこの先も、一生忘れられないと思います。

本震の数日後、何とか拾ったタクシーで近隣の県の空港に向かい、そこから父の住む札幌へ避難しました。
仙台空港は一階部分が大津波にのまれ、復旧に数ヶ月という時間を要していたためです。

やっと到着した札幌で目にしたのは、今までとはまるで違う世界でした。
当たり前にある電気や水、普通にやっているスーパー、そして今までと何の変わりもなく普通に暮らす人々でした。

津波で家や大切な人を失い、水や食べ物に不自由しながらも何とか日々を生きている高校の友人達に、どんな声をかければいいのかもわからず、
何一つ不自由のない暮らしを初めて不自由に感じました。

自分は、助かってしまった。
みんなが苦労している中、自分は逃げてきてしまった。
みんなが辛い思いをしているのに、自分だけが楽をしている。

そんな思いに駆られ、毎日苦しくてたまらず、何もできませんでした。
部屋にこもり、窓の外をただ眺めることしかできず、
夜になると当たり前のようについている部屋の明かりを見つめては、光を失った真っ暗な仙台のまちを想い、涙が止まりませんでした。

今はもう大人になり、心も強くなったと思いますが、
当時は17歳、多感な時期で、
まだ未熟な心で受け止めるにはあまりに大きすぎる出来事でした。

そのまま約1ヶ月を札幌で過ごし、仙台に戻り残りの高校生活を過ごしましたが、
仙台で過ごした1年間はあまりにも空虚で、正直よく覚えていません。

帰ってすぐに両祖父母の実家のあった山元町を訪れましたが、
大津波で壊滅的な被害を受け、海沿いの家はほぼ流され、
どれだけ車で走っても建物らしき建物は見当たらず、ただ荒れ果てた空き地がどこまでも広がっていました。

中1から続けてきたオーケストラと吹奏楽も、本来は集大成となる年でしたが、
市内のコンサートホールも例外なく大きな被害を受け閉鎖され、自分の代の最後の定期演奏会を行うことはできませんでした。

今も苦しんでいる人がいる中、自分だけが楽しい気持ちになったり、やりたいことをしてはいけない。
そんな思いに駆られ、何か楽しいことをしたり、笑ったりすることを無意識に避けるようになりました。

そしていつしか、楽しいはずのことを楽しいと全く思えなくなりました。
ベッドに横になり、ひたすらに天井を見つめて過ごす夏休みは初めてでした。

受験に失敗し、小さい頃からずっと目指してきた音楽の道に進むことができず、
何となく入った札幌の大学で、夢中になれることもなく、友達と呼べるような人も一人もいなく、毎日がつまらなくて、
気付けば大学を休みがちになり、単位が全く足りず両親に大学から連絡が入ったこともありました。

そんなとき、たまたま知人からファイターズの試合のチケットを貰う機会がありました。
今思うと正直大して乗り気ではありませんでしたし、選手もルールも全く知りませんでしたが、
本当になんとなく、初めての札幌ドームへと足を運びました。

想像以上に混雑した東豊線に驚き、ドームへの道のりの遠さにも驚き、ファンはなぜそこまでして野球なんて観たいんだろう…
と、冷ややかな気持ちで周囲を見ていたことを覚えています。

しかし、そこで私を待ち受けていたのは、あまりにも大きな衝撃、そして味わったことのない大きな感動でした。

コンコースの通路からスタンドに入る瞬間の、なんとも言えない開放感。
同じユニフォームを着て、試合の始まりを今か今かと待ちわびるたくさんのファン。
スタメン発表の瞬間、大歓声を浴びながら自分のポジションへと走ってゆく選手たちの大きな背中。
耳が痛くなるほど大きな応援の声、トランペットの音。
フラッグを手にグラウンドを颯爽と駆け抜けるチアガール。
そして、選手たちの一球一球にかける熱い思い。

何もかもが初めて見るもの、初めて味わう気持ちばかりで、
目まぐるしく変わる目の前の光景に、ついていくのがやっとでした。

ルールは全くと言っていいほど分かりませんでしたが、
それでも初めて見る野球の試合は本当に面白く、ワクワクするもので、胸の鼓動はずっと鳴り止みませんでした。
つまらないと決めつけていたはずなのに、気付けば私は夢中でたったひとつの小さなボールの行方を追いかけていました。
知らない選手を応援することが、楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。

そしてその試合は、稲葉篤紀選手の引退試合でした。
稲葉ジャンプで揺れるスタンドと割れんばかりの大歓声の中で、
四万人がたった一人の選手を見つめ、夢中でその姿を追いかけ、あたたかく見守り、
そして別れを惜しみ、涙し、幕を閉じようとしている野球人生にドームにいる全員が拍手を送る光景は、感動以外の言葉では表せませんでした。

四万人が、一つの同じ夢を見る。
その光景は、あまりにも圧倒的で、私の心を奪うには十分すぎるもので、
たった一試合で、私は、野球というスポーツに大きく魅了されてしまいました。

こんなに心から何かを楽しいと思えたこと自体が、本当に久しぶりでした。
心躍る感覚も、何かに感動する心も、ずっと失ってしまっていたものでしたが、
まだ自分の心はきちんと生きていたんだと、初めて知りました。

野球というスポーツに出会ったことで、止まっていた時計が動き始めたような、
凍り付いていた心があたたかいものに包まれて溶けてゆくような、
今まで味わったことのない不思議な感覚を感じました。

その日から、YouTubeなどで野球の動画を見たり、野球の本を買って読んだり、
とにかく野球というスポーツを知りたくて、野球のことを考える時間が多くなりました。

そして、グラウンドにいたチアガールはファイターズガールだということも知りました。
そこからオーディションの応募に至るまで、時間はあまりかかりませんでした。

本格的なダンス経験はなく、オーディションの二次審査であるダンス審査はほぼ踊れず、
その場に立ち尽くし、時間が経つのをひたすら待ちました。

最終審査の自己PRでは、周りが次々と特技を披露する中、これといった特技もなかったため、
先日初めて野球の試合を観てとても感動したこと、そして先ほどのダンス審査では大変悔しい思いをしたこと、
しかしどうしてもファイターズガールというものになりたいので、今日からたくさん練習してまた来年受けに来ますと、
その時率直に思ったことをとりあえず話して、その日は帰宅しました。

後日、合格発表で自分の名前が呼ばれた時は、当たり前ながら嬉しさよりも驚きの方が大きかったです。
周りの人にも言っていなかったため、とにかく日々いろいろな人に驚かれてばかりでした。

このようにして、私のファイターズガールとしての、そして野球に魅了されたものとしての、全く新しい人生が始まりました。

そして、たくさんのファイターズファンの方に支えていただきながら、毎日がむしゃらに大好きなファイターズを応援し続け、気がつけばもう4年目。
今となっては野球のない生活は絶対に考えらないと言えるほど、
野球が何よりも好きになりました。

野球には人を明るくする力があります。
人の心を動かす力があります。
そして、人に勇気と感動を与える力があります。
だから、野球というスポーツをたくさんの人に知ってほしい。
自分の力は僅かですが、ファイターズガールと言う立場を通して一人でも多くの人に野球の面白さと素晴らしさを伝えたいと思って、活動してきました。
その思いは四年という月日が経った今も全く変わることはなく、かえって強くなるばかりです。

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ファンフェスティバルが終わり、
先日とあるイベントに複数名のメンバーと出演する機会があり、
その時の控え室で、メンバー同士で他愛もない話をしている最中、ごく自然に、
「ファイターズガールをやめることって、何て言うんだろうね」
という話になりました。

卒業?引退?辞退?退職?
いろいろな言葉が飛び交う中、私は最後まで答えを見つけ出すことはできませんでした。
それは、周囲の人々とのお別れの形が、他のお別れと比べ非常に特殊であると考えたからです。

このブログでは便宜上、卒業という言葉を使います。

ファイターズガールは、たとえ卒業することを決めていても、
たとえ来期のファイターズガールがすでに発表になっていたとしても、
ファイターズガールでいる間は自分の口からそれを話すことはできません。
それは私が1年目の時から、そしておそらくそのずっと前から続く、ルールの一つです。

一般的な人間関係において、卒業も引退も、おそらく事前に本人から周囲へと伝えられるケースが多いと思います。
事後にならないと伝えられないというケースは、どちらかというと少数なのではないでしょうか。

お互いに最後だと分かってお別れできるお別れと、そうではないお別れとの間には、
同じお別れでも大きな違いが存在します。

いつか私がガールを卒業するとき、
今まで私自身を沢山沢山支えてくださった、
ファンの皆さんに対しても、
今シーズンの感謝の気持ちは伝えられても、さようならを言うことは決してできません。

もし万が一、涙を見せてしまうようなことがあっては、混乱を招いてしまうので、
きっと最後の試合もいつも通り、
そして出来る限りの笑顔で、またお待ちしていますとお見送りをするのだろうと思います。

どういった形で話が広まってしまうか分からないので、
全ての試合が終わるまでは、きっとメンバーにも言えないと思います。

いつか私がガールを卒業するとき、きっと私は、
最終戦の満員の札幌ドームで、
沢山の仲間と立つ、大好きなグラウンドに、
たった一人きりで寂しさを噛み締めて、必死で立っているんだろうと思います。

ドームの関係者出口へ向かう上り階段の、きっと最後の一段まで、
誰にも知られてしまわないように、さようならを抱きしめているんだろうと思います。

ファンの皆さんからしたら、ひとりのチアガールとの別れなど、もしかしたら些細なことかもしれません。
でも、私にとって、数え切れないほどたくさんの場面で支えてくださり、応援してくださった大好きなファンの皆さんに、
さようならも言えずにお別れをする日が、いつかやってくるとしたら、
それはどれほど悲しいのか、そして私はその悲しみに耐えきることができるのか、
まだ全く、想像もつきません。

だから、いつかその日が来るまで、できるだけ後悔のないよう、
目の前のファンの方々ひとりひとりを大切にしたいと思います。
そして、どんなときも感謝の思いをまっすぐに伝えたいと思います。

少し話は変わりますが、
今までにファイターズガールを卒業したメンバーはたくさんいます。
卒業した先の道は一人ひとり様々で、
ごく普通の女の子として暮らしていくメンバーもいれば、結婚して家庭を築くメンバー、
就職や進学をするメンバー、ダンサーやインストラクターなど本格的なダンスの道に進むメンバーなど多岐に渡ります。

もちろん、それらのどれもが正解であり、誰かに評価される筋合いもありません。

それでも、
私がいつかファイターズガールを卒業することになったときに、やりたいこととはなんだろう?
選びたい道はどんな道だろう?
そう考えた時に、私の中の正解は、迷うまでもなく、たったひとつでした。
それは、
野球というスポーツに携わり続けること、そして野球を心から愛し続けることでした。

「プロ野球の魅力を、自分の言葉で伝えたい!」
ガールになった時から周りに言い続けてきた夢を叶えて、
プロ野球というスポーツがひとりでも多くの人に愛されるために、これからも自分らしく努力を続けることが、
今まで応援してくださったファンの方々へのせめてもの恩返しになるといいなと切に思います。

そのために、いつか私がガールを卒業する日が来るまで、少しずつしっかりと準備をしていきたいと思います。

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今シーズンも、本当に楽しく、思い出深いシーズンでした。
振り返るとあまりに長くなるので、ひとつひとつのイベントなどの振り返りについては申し訳ありませんが割愛させてください。
(ガールという活動を通して学んだことについては、実は昨年のラストブログで書ききってしまったので、お時間がある方はそちらも併せてご覧ください!)

たくさんのお仕事をさせていただきましたが、
やはり札幌ドームでファンの皆さんに直接お会いして、ご挨拶やお話ができるお出迎えやお見送りの時間が、本当に楽しみで、何よりも大好きな時間でした。

もう4年目の私に、
「あすみんはもっと上のステージがあるから、これからも諦めずにガールを続けてほしい」と言って下さるファンの方もいました。
おっしゃる通り、オールスターや侍JAPAN、ダンスフェスなど、同期や後輩が経験しているような「上のステージ」には、全く努力が足りず、4年間出ることができませんでした。

しかし、こんな私がファイターズガールとして、4年目の今年も沢山のホーム試合に出られたこと、
今年も北海道のあたたかいファイターズファンの方とともにファイターズを応援できたことが本当に本当に嬉しくて、私にとってこれ以上の幸せはないと自信を持って言えます。

もちろん、選ばれなかったことを全く何も思わなかったといえば嘘になりますが、
それでも大好きなファイターズファンの方が見守ってくださる札幌ドームこそが、自分にとってどんなステージよりも大きな、夢の舞台そのもので、何よりも大切にしたいと思える場所でした。

改めまして、今シーズンもファイターズの試合に足をお運びいただいた皆様、本当にありがとうございました。

また、ドームでお会いするといつも優しく接してくれた球団スタッフの皆様、ボランティアスタッフの皆様。
音響、設営などさまざまな場面でサポートしてくださった皆様。
イベントや幼稚園訪問などでお世話になったまちの皆様(おそらくメンバーの中で誰よりも多くのまちを訪れましたが、どこでお世話になった方にも本当によくしていただきました!)
その他、ファイターズガールの活動をさまざまな形で支えてくださった皆様。
今シーズンも、大変お世話になり、本当にありがとうございました。
このような公に向けて発信するべき場で、内輪への感謝を述べるのは間違っているのかもしれませんが、
自由気ままな5年目の先輩、キャラの薄い同期、ここだけ異世界な3年目、気の強い2年目、食べちゃいたいほどかわいい1年目の皆にも本当にお世話になりました。

そして尾暮さん、ゆか先生には本当に頭が上がりません。
ありがとうございました。
もう一つだけ、本当に私事ですが書きたいことがあります。

今シーズン、ファイターズガールとして4年目のシーズンを活動できたのは、
まおがいてくれたからでした。

一年前の今頃。
2017シーズンを終えて、面談で今年で辞めることを伝えたあとに、
辞めないでと泣きながら引き止めてくれたまお。

まおは皆さんが思っている以上に大人で、私なんかよりもずっと賢く、
どうやって育てたらこんなにいい子になるんだろう?と常々思うくらい、本当にお利口で、いい子です。

人の気持ちに敏感で、誰かを困らせるようなわがままはめったに言いません。

それでも、あすみんがいないといやだ!といつまでも泣き止まない、まだまだちいさくて幼いまおに、
何かひとつでも私が与えられることがあるなら、そのひとつのために、
一瞬でもまおを助けることできるなら、その一瞬のために、
もう一年続けたいと率直に思いました。

改めて振り返ってみると、
謙遜でもなんでもなく、私がまおに優れているような部分が本当にないため、
まおを助けてあげられるような場面はありませんでしたが、
まおが沢山のメンバーに支えられて、そしてたくさんのファンの方に愛されながら、
うらんと二人でリーダーとして皆を引っ張っていく姿を誰よりも近くで見ていられたことは、
私にとって想像していた以上に大きな大きな幸せで、かけがえのない時間でした。

まお、素敵な1年間を本当に本当にありがとう♪

いつかまおのことを、もうまお一人でも十分大丈夫だなと思ったら、
きっとその時が、私がガールを卒業するタイミングなのかもしれないなぁと思います。

いつその日が来るかは、分かりませんが、
それまでは一生懸命、ファイターズファンの皆さんと一緒に、大好きなファイターズを全力で応援し続けたいと思います☆
それまでどうぞ、お付き合いのほどよろしくお願いします。

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ということで、そろそろ今シーズン最後のブログを書き終えたいと思います。

またどこかでお会いしましょう、なんて書こうと思いましたが、
4年間、皆さんとドーム以外で遭遇したことがあまりないので、今後皆様とお会いするとしたら恐らく札幌ドームだろうと思います。
しばらくお会いできませんが、どうぞ体に気をつけて、元気にお過ごしください。

最後になりましたが、改めまして今シーズンお世話になりました全ての皆様に、心よりお礼申し上げます。

本当に、ありがとうございました。
☆asumi☆