皆さん、こんばんは
暖かくなりーと思ったら寒い日が・・・
風も冷たいしね
春よ・・・
来い
今日は休みで、友達のお店にお昼ご飯を食べに行き
後は眠くて、寝てたよ
明日はうるう年・・・
もう3月がそこまで
さてさて・・・
ミープ・ヒースさん
こないだ、古本を2冊買いました
1冊はゴッホさんの本
ゴッホさんの本は大抵、手に取り見てるんだけど、
これは読んで無かった
感想は、また今度
もう1冊は・・・
思い出のアンネ・フランク
ミープ・ヒース著
ミープ・ヒースさん
前にブログにアンネの事はたくさん書いているけど、
アンネの父 オットーの会社で働いていたミープ。
アンネの家族、ファン・ペルス家族、フリッツ・フェファー、
8人がアンネの父オットーの会社の裏に隠れた。
それを支援した4人の中心人物の一人
前列ミープ、、左~アンネの父オットー、ベップ、
後ろ、眼鏡をかけているのがヨー・クレイマン、
ビクトル・クーフレル。
アンネたち家族を・・・
助けた4人。
また戦時下の中、食糧事情も厳しく、
配給制になり。
支援者たちは、偽装の配給券を手に入れたり。
ユダヤ人を匿っている事を知っていて、
沢山の野菜を分けてくれる八百屋さん。
4人以外にも、
善良なアムステルダム市民により支えられていたアンネたち。
八百屋さんは、後にユダヤ人を助けた罪により逮捕。
アンネが隠れ家で書いた日記。
これが世界中の言語に訳された有名なにったアンネ。
アンネの日記は有名になったけど、
意外と知られていないアンネの隠れ家の外で起きていた事。
ヴァンサン自身、
アムステルダムのアンネの隠れ家には何度も行き。
またアンネたち家族が隠れ家の前に住んでいた家にも行ってみた、
アンネ関連の本を読むと、
ふと・・・日本人だからなのか
ヴァンサン自身の性格的なものなのか
隠れ家支援者の中で、一番長く生きたミープ。
亡くなったのは2010年。
100歳で亡くなる
他の支援者の方の証言は、ほとんど無く。
大半の話がミープの証言。
ちょっとびっくりするのが、
他の支援者の事・・・・
ビクトル・クーフレルの事を、
几帳面で礼儀正しいが自分のやりたいようにやり、
それ以外の方法は好まなかった。
ベップについては、アンネたちが逮捕され、
隠れ家内に散乱するアンネの日記を読もうとしてた、ベップに対して
子供だってプライバシーはあるでしょってたしなめたと。
クーフレルはアンネの日記の中で・・・
クーフレルさんは、毎週月曜日に「映画と演劇」雑誌を買ってきてくれます。
書かれています。
隠れ家の住人には、なんの楽しみもありませんでした。
アンネはクーフレルが持ってきてくれる雑誌がささやかな楽しみでした。
ベップ。
ベップの父親があの有名な隠れ家に繋がる本棚を作り、
ベップの妹は日に日に成長するアンネやマルゴーの為に、得意の裁縫を生かし、
服を作ってくれたり、
今の時代と違って、成長すれば服を買えば良いなんて時代じゃないんです。
あちこちにゲシュタポ(秘密警察)の目。
子供の居ない家が子供服を買えば怪しまれるしね。
ベップ自身は、
アンネ、マルゴー、ペーターの為に自らの名前をで通信教育を申し込み、
隠れ家の住人の子供たちの勉強を教えました。
またオットーは戦後、
アンネが一番仲良かったのはベップだと語っています。
ほんとうに、ふと思った事なんですが・・・
戦後、ミープは仲間の支援者の事を・・
正直に答えただけなのんでしょうけど、
命をかけてアンネたを守った同志を、
ちょっとイヤな印象を・・エピソードを語るのかなって
必要なエピソードかなって
続く