「へ(経)」。経過。同じ経過のある人々とその生活体、ある地点のその生活施設。この「へ(戸)」という語は、「家」や「戸籍」といわれる語なのですが、たとえば、人が内部で寝起きするような物的施設があっても、それが遠地へでかけた際にしばらく、ときにはただ一晩、そこで寝起きする仮庵(かりほ)のようなもの(ときには、細い棒を立て、上に草を葺いただけのもの)の場合、その地のその施設は「いへ(家)」にならず、そこでひととき生活する人や人たちは「家(いへ)の人(ひと)」(家族)にならない。そうなるためには、その地のその施設でのその人やその人たちの生活に時の、年月の、同じ経過があること、とりわけ、そこで生活する人から子がうまれ、その子もそこで生活し、成長し、そしてまた子が生まれ…という幾世代にもわたる時の、年月の、経過があること、が必要になる(その「おなじ経過」として最も影響することは、その人々が過去をさかのぼり「おなじ人から生まれている」ということ)。その時間の経過により「いへ(家)」は生まれ、育ち、「いへのひと(家の人)」も生まれ、育つ。その時間の経過がここでの「へ(経)」であり、その「へ(経)」の現実化として、ある地にその経過をともにしている人たちやその生活施設(居住家屋)があり、それが、「へ(戸)」と呼ばれる。人は誰でも生殖し、発生し(生まれ)、生き(生活し)、死に、という経験をしそうした経過をたどるわけですが、その経過の、そして人々のそうした経過相互の、総有記憶の現れたる人々とその居住施設(生活施設)と社会的な居住総体(生活総体)、それが「へ(戸)」になる。この「へ」が「戸(コ)」と書かれるのは「戸」は「門(モン)」の半字であり、「門(モン)」の日常的に開閉するその半部分(それゆえ「戸」は「と(戸)」とも読まれる)は経過記憶総体たる人々の生活施設やその域や居住総体と「よ(世)」との限定的な共通域だからです(そこを通じて両域が行き来する)。それゆえに「戸」は「へ」とも読まれる→「神戸(かむへ・かうべ)」、「八戸(はちのへ)」。

「秦人(はたひと)の戸(へ)の數(かず)、總(す)べて七千(ななちあまり)五十(いそあまり)三(み)戸(へ)」(『日本書紀』)。

「任那(みまな)の日本縣邑(やまとのあがたのむら)に在(はべ)る百濟(くだら)の百姓(たみ)の、浮逃(に)げたると、貫(へ)絶(た)えたるとの、三四世(みつぎよつぎ)なりたる者(もの)をさへ括(ぬ)き出(だ)して、並(ならび)に百濟(くだら)に遷(うつ)して貫(へ)に附(つ)く」(『日本書紀』:「貫(カン)」は中国の書に「事也,穿也,累也,行也」などとも書かれ、「本貫,鄕籍也」などとも書かれる字ですが、過去から現在までの人のつながりがあり、それを貫(つらぬ)いていること、その「へ(経:経過)」、が「貫(カン)」であり、その文字記録・記録体が「籍(セキ)」。つまり、「貫」や「籍」が「へ(戸・経)」を現わす。それゆえに「へ(戸)」が「貫」と書かれる)。

「戸 …ト……ヘ」(『類聚名義抄』)。