「ふふ(節生)」の動詞化。「ふ(節)」の動態を発生させる、という表現。それにより必然的にその動態は経過していく。「ふ(節)」はその項参照。これは、特異的に感覚感のあるそれ、対象として独律化する存在感のある発生感、を表現する→「ふ(節)」の項。「ふふし(節生し)→ふし」ではその動態が発生しその経過が起こる。つまり、発生感と経過感双方が表現される「ふ」とS音の動感による動詞という状態である。動態に特化的な(特別化する)発生感が生じ経過する。人が伏(ふ)した場合、身体で特化域を形成するような(身体前面に空間をとり入れ含むような)体勢になり、自足する(横たわり寝た状態になることも意味する→「床(とこ)に臥(ふ)す」)。皿が伏した場合(皿が自ら伏すことは相当に異常なことがなければないが)凹面が下になる。思ひを伏した場合(「伏せ」という言い方が一般的ではあろうが)、思いは包み込まれ特化する。他動表現で、たとえば「あいつにはこの話はふせておけ」といった場合、話は自足した特化域を形成する状態になり「あいつ」との関係は遮断される。

「天(あま)つ神 仰(あふ)ぎ祈(こ)ひ祷(の)み 国つ神 伏(ふ)して(布之弖)額(ぬか)つき…」(万904)。

「むし衾(ぶすま)なごやが下に臥(ふ)せれども妹とし寝ねば肌し寒しも」(万524)。

「柀(まき)は以(も)て顯見蒼生(うつしきあをひとくさ)の奧津棄戸(おきつすたへ)に將(も)ち臥(ふ)さむ具(そなへ)にすべし」(『日本書紀』:「柀(まき)」はある種の樹木。「すたへ」は棺(ひつぎ)。「おき(奥)」は、遥か彼方(死者(靈)の世界)、の意→「おき(奥)」の項。ようするに、柀(まき)は死者が横たわるものとしてもちいるために備えておけ、ということ)。

「み吉野(えしの)の 袁牟漏(をむろ)が嶽(たけ)に 猪鹿(しし)伏(ふ)す(布須)と 誰(た)れぞ 大前(おほまへ)に奏(まを)す…」(『古事記』歌謡97:「猪鹿(しし)伏(ふ)す(布須)と」は、「猪鹿(しし)」が自足的な独律域を形成している、ということ。「み吉野(えしの)の 袁牟漏(をむろ)が嶽(たけ):美延斯怒能 袁牟漏賀多氣」は、『日本書紀』の同じような歌謡75では「野麼等能 嗚武羅能陀該(やまとの をむらのたけ:大和の峰群の嶺)」になっている)。