「ビイヰロウ(美衣遺漏)」。「美衣(ビイ):社会性や権威性を飾る、という意味でも、美しい衣装」に遺(のこ)された漏(も)れがある、ということであるが、この漏れの痕跡は排泄による漏れによるもの。たとえば小便の滲(し)み。当初は「美衣(びい)に遺漏(ゐろう)のあるやつ」といった表現だったかもしれない。着物を「い(衣)」と表現することは、多少漢文訓読になじんだ者であれば、ありきたりにあり得るでしょう。「美(ビ)」も「遺漏(ヰロウ)」もありきたりな語です。意味としては、社会性を整えたり飾ったりしながら、それにふさわしからぬ、社会的名誉や評価を台無しにするような、落度があるということ。排泄の印象もあり、さらには、嘔吐なども表現される。
この語の語源は一般に、愚かであることや愚か者を「をこ」と言い、これが「尾籠」とも書かれ、その音(おん)、と言われる。しかし、「をこ」を「尾籠」と書くことの一般性も問題になり、「びろう」と言って「をこ」の意が伝わるか、といったことも問題になり、「をこ」という語には社会的な礼儀の棄損、名誉の汚(けが)し、排泄物の印象、といった意味性はない。
「…余後従、見参入道殿(藤原忠実)、多令語古事給、顕光大臣尾籠者云々…」(『台記』(康治元(1142)年11月4日):藤原忠実がやって来て藤原顕光を「尾籠者」と言ったそうである。藤原顕光は藤原道長と従弟(いとこ)関係にある人物であるが、さまざまな評価がなされる)。
「「是より関東に下したる者は、京都の仔細を先に鎌倉殿へ申すべし。又関東より上らん者は、最前に義経が許に来たりて、事の仔細を申すべき所に、(土佐坊は)今まで遅く参る尾篭なり。急度参るべき(ゆるさず、厳重に対応すべき)」」(『義経記』(1300年代中頃?))。
「重盛卿(平清盛の長男)申されけるは「………重盛が子(平資盛:清盛の孫)共とて(重盛の子の一行として)候はんずる者の殿下(摂政・藤原基房)の御出に参り逢ひて乗物より下り候はぬこそ返す返す尾籠に候へ」とて…」(『平家物語』巻第一「殿下乗合」。重盛にとっては尾籠でも、清盛にとっては尾籠ではなく、清盛は孫が受けた恥辱を報復する)。
「返々ひろうのしわさに候けりいそきあかい申さるへしと申さる(「かへすがへす、尾籠(びろう)のしわざに候ひけり。急ぎ贖(あが)ひ申さるべし」と申さる)」(『とはずがたり』(1300年代前半?):宮中での、「粥杖打ち」と言われる風習での騒動の話。そこで行き過ぎた無礼・無作法があったと言っている。「贖(あが)ひ」は罪をつぐなふこと)。
「tadaxi xejŏni ſata itaitaua, faifodo birôna monoua vorinai(ただし 世上に 沙汰 致いたは 蠅(はい)ほど 尾籠(びろー:birô)な 者は をりない)」(『天草本伊曾保物語』「Faito,arino coto(蠅(はい)と,蟻(あり)の こと)」(1500年代末):蠅(はえ)は活動は派手だが世の中では存在自体が汚物のような扱いをされているぞ、我々は地味に地を這うが寒い冬も生き延びるぞ、と蟻(あり)が言っている。この話の教訓は「当座の威勢に驕る者は以来の難儀に躓(つまづ)かうず:我と身を大きに褒(ほ)むる者は未だその言葉も干(ひ)ぬ内に,面目(めんぼく)を失う物ぢゃ」)。
「某(それがし)が先陣の案内させんとからめをいたる女をとらへ、たはふるる(戯るる)はびろう也」(「浄瑠璃」『佐々木大鑑』:武士としてだらしない)。
「『……トキニ病体ハ』『………食(たべ)ると、尾篭(びろう)ながら、吐(はき)まする』」(『浮世風呂』:「尾篭(びろう)ながら」は、話の印象が汚らしく不快になりますが、ということわり。「びろう」という読みは原本にあるもの)。