「はみはひ(填み這ひ)」に完了の助動詞「り」のついた語。「はばひ」のような音(オン)が「はべり」になっているわけです。「たまへ(給へ)」が「たべ(食べ)」になるような変化で「はばひ」が「はび」のような音(オン)になり、これに「り」がつき「はべり」になる。その場合、助動詞「り」の前がなぜE音化するのかに関しては「り(助動)」の項。「はみ(填み)」は「はめ(填め)」の自動表現。意味は、部分化すること(自分が機能として何かの全体の部分になる。他動表現「はめ(填め)」は他をそうする)。すなわち、全体の意味は部分化する情況になること。嵌(はま)りあり、嵌(はま)っている、のような表現。これが、何かの影響(たとえば人や社会の権威)に部分化していることこと(すなわち、そこに嵌(はま)り全体優先の状態になっていること)を表現し、その何かに仕え奉仕する情況動態にあること・その権威下にあること、を表現する→「仏にはべれり」(『法華義疏』:仏の権威に部分化し、仏の権威に嵌(はま)っているわけです)。「謹み礼(うや)まひ仕へ奉りつつはべり」(『続日本紀』宣命)。 また、その主体が自己であれば、何かの権威下にあることを表現する謙譲表現にもなり→「夕(ゆふ)さりまで侍(はべ)りてまかり出(い)でけるをり…」(『古今和歌集』)、その動態の謙譲的な丁寧表現にもなる。「(病気になり)おろしこめてのみはべり」(『古今和歌集』:家から出ない状態になっていた)。「~はべり」と動詞に添えば、その動態に嵌(はま)っている、という表現になり、謙譲的な丁寧表現になる。「山里にこもりはべりけるに…」(『古今和歌集』)。その主体が客観的対象であれば、それが社会的な格式下にあることを表現するそれへの尊重表現にもなり→「やまとに侍(はべ)りける人につかはしける」(『古今和歌集』詞書)、それはものごとへのそのものごとの明確性を表現した表現にもなる(そのものごとが、こうある、と想念的にあるそれに嵌(はま)りある、という表現により、その明確性が表現される)→「『(この、雪でつくった山は)正月の十余日までは侍(はべ)りなむ』」(『枕草子』:雪山は十日までは残っているだろう)。「さらばかくと申侍(まをしはべ)らんといひて(かぐや姫のいるところへ)入ぬ」(『竹取物語』:「かく」は告げること(申し上げること)の内容であり、「申し」は、告げる言葉が(使者によって伝えられた)御門(みかど)のそれであることから、それへの謙譲であり、「はべり」はその動態の明確性が表現されることによる、確かにそうします、という謙譲表現)。
漢字表現は一般に「侍(ジ)」ですが、この字は中国の古い書に「承也」「近也」「從也」と書かれる字。つまり、何かの近くにいて、なにごとかを承(うけたまは)り、それに従(したが)うわけです。
「是(こ)の日(ひ)に、天皇(すめらみこと)得病(おほみここちそこな)ひたまひて、宮(みや)に還入(かへりおは)します。群臣(まへつきみたち)侍(はべ)り。天皇(すめらみこと)、群臣(まへつきみ)に詔(みことのり)して曰(のたま)はく…」(『日本書紀』:群臣たちが天皇の権威にかしこまりつつそこに集まっていたわけです)。
「中臣鎌子連(なかとみのかまこのむらじ)を以(もち)て神祗伯(かむつかさのかみ)に拜(め)す。再三(しきり)に固辭(いな)びて就(つかへまつ)ら不(ず)。疾(やまひ)を稱(まを)して退(まかりい)でて三嶋(みしま)に居(はべ)り」(『日本書紀』:まるで蟄居するように家にかしこまっていた。「三嶋(みしま)」は後世の大阪府三島郡)。
「かむなりのつほ(雷の壺)にめし(召し)たりける日(招かれいた日)、おほみきなと(大御酒など)たうへて(食べて:いただいて)あめのいたくふりけれは(雨のいたく降りければ)ゆふさりまて侍りて(夕さりまではべりて)まかりいてけるをりに(罷り出でけるをりに)、さかつきをとりて(盃をとりて)」(『古今和歌集』詞書:「かむなりのつほ(雷の壺)」は宮中の殿舎のひとつ。夕方までいたことの謙譲的な丁寧な表現。『古今和歌集』の次の歌の主たる兼覧王(かねみのおほきみ)に招かれたということか)。
「やまとに侍りける人につかはしける」(『古今和歌集』詞書:その人への尊重表現)。
「中納言源ののほる(昇)の朝臣のあふみのすけ(近江介)に侍りける時、よみてやれりける」(『古今和歌集』詞書:身分にかんする尊重表現)。
「みやつかへひさしうつかうまつらて山さとにこもり侍りけるによめる」(『古今和歌集』詞書:これは動詞に「はべり」ですが、謙譲)。
「『あまゝ(雨間)侍(はべ)らば立ち寄らせ給へ。聞えさすべき事なむある』」(『蜻蛉日記』:これはものごとに「はべり」ですが、そのものごととして思われるそれに、嵌(はま)りある、という表現により、そのものごとの明瞭性が表現され確認強調される。ここでは「雨間(あめま)」を思っているその思いが強調される)。
「神無月(かみなづきの)比(ころ)、栗栖野(くるすの)といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入(い)る事侍(はべ)りしに」(『徒然草』:これもものごとに「はべり」。ものごとがその明確性表現により確認強調される)。
「辺りは、人しげきやうにはべれど、いとかごかにはべり」(『源氏物語』:「かごか」は、全体的に、物陰(ものかげ)にあるというか、派手な活発性はないこと。「かごよか」の「よ」の無音化でしょう。「かごやか」(「かげおひやか(陰覆ひやか)」)という語もある。この「かごかにはべり」は「~に」による形容態に「はべり」ですが、ことの明確性の表現)。
「『…侍(はべ)る所の焼け侍(はべ)りにければ、がうなのやうに、人の家に尻をさし入れてのみ候ふ』」(『枕草子』:「がうな」はヤドカリ(蟹蜷(かにみな)→がうむな→がうな)。「侍(はべ)る所」は、自分の住居ですが、自分におけるその住居との一体性、その重要性、が表現される。「焼け侍(はべ)り」は動詞に「はべり」ですが、焼けた、というそのものごとが確認強調され、その重要性が訴えられる)。
「大進生昌が家に…………『雨の降りはべりつれば、さもはべりつらむ…』」(『枕草子』:これも確認強調ですが、門が小さく車が入らず、訪れた人に困難が生じたことの言い訳を強調している)。
「「多かる野辺に」とうち誦じて、立ちたまひにしさまこそ、物語にほめたる男の心地しはべりしか」(『紫式部日記』:その「心地(ここち)」たる心情・思いが明確性表現により確認強調される。「多かる野辺に…」という歌にかんしては『古今和歌集』229)。
「後徳大寺大臣(ごとくだいじのおとど)の、寝殿(しんでん)に、鳶(とび)ゐさせじとて縄(なは)を張られたりけるを、西行が見て、「鳶(とび)のゐたらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそ」とて、その後は参(まゐ)ざりけると聞き侍(はべ)る(事象の確認強調)に、綾小路宮(あやのこうぢみや)の、おはします小坂殿(こさかどの)の棟に、いつぞや縄をひかれたりしかば、かの例(ためし)思ひ出でられ侍(はべ)り(事象の確認強調)しに、「まことや、烏(からす)の群(む)れゐて池の蛙(かへる)をとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。徳大寺にも、いかなる故(ゆゑ)か侍(はべ)り(事象の確認強調)けん」(『徒然草』)。
「國破れて山河あり城春にして草靑みたりと笠うち敷て時のうつるまで泪(なみだ)を落し侍りぬ 夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡」(『奥の細道』)。