◎「はびこり(蔓延り)」(動詞)

「はひみこり(這ひ廻凝り)」。「はひ(這ひ)」は環境動態化すること。「み(廻)」は廻(めぐ)ること。「こり(凝り)」は何かに熱中すること。「はひみこり(這ひ廻凝り)→はびこり」、すなわち、這ひ廻(めぐ)ることに熱中する、とは、ものであれことであれ、何か(ことの場合は影響)が浸透拡大することです。「煙がはびこる」。「雑草がはびこる」。「世の中に奇妙な宗教がはびこる」。

「はびこれる 葛(くず)の下(した)ふく 風(かぜ)の音(おと)も 誰(た)れかは今(いま)は 聞(き)くべかりける」(『斎宮女御集』)。

「庭に桑穀(そうこく)の木一夜に生て二十余丈に迸(はびこ)れり」(『太平記』:これは中国・殷の時代の故事を言うなかで言われている。桑(くは)や穀(かうぞ)は野木であり、王朝に合わず、それがはびこれば国が亡ぶ、といったことが中国の古い書にある(たとえば「桑穀,野木而不合生朝,意者國亡乎」(『孔子家語』「五儀解」)))。

「承久より以来、平氏世を執て九代、暦数已に百六十余年に及ぬれば、一類天下にはびこりて、威を振ひ勢ひを専にせる所々の探題、国々の守護、其名を挙て天下に有者已に八百人に余りぬ」(『太平記』:ここで言う「平氏」は北条氏でしょう。昔は源氏と平氏が交互に世を治め、という思想があった)。

「嘗(か)つては、長崎の町にはびこつた、恐しい熱病にとりつかれて…」(『奉教人の死』(芥川龍之介))。

 

◎「はひつくばひ」(動詞)

「はひつくばひ(這ひ蹲ひ)」。「はひ(這ひ)」、そして「つくばふ(蹲ふ)」こと。蹲(つくば)ひつつ這(は)ふ。蹲(つくば)ひ、そして上半身が額が地にふれるほど前へ倒れれば(当然、手を地につき)「這(は)ひ」になり、はひつくばふ。「はひ(這ひ)」も「つくばひ(蹲ひ)」(一部下記再記)もその項参照。ここでの「はひ(這ひ)」は赤ん坊の這ひを思わせる姿勢です。活用語尾が情況を表現するR音化した「はひつくばり」もある。

「無不膝行而前 皆ハイツクハワテスゝムソ 莫敢仰視…」(『史記抄』「項羽本記第七 史記七」:漢字部分は『史記』の本文がそのまま書かれている)。

「東国の者共は、党(たう)も高家(かうけ)も跋跪(はひつくばひ)こそ有しか………況(いはんや)や年来(としごろ)の重恩(ぢうおん)を忘(わすれ)…」(『源平盛衰記』)。

「毎日毎日どこへ往(い)っても、誰(たれ)の前でも、平蜘蛛(ひらぐも)のようになって這いつくばって通った。…………己に金を儲(もう)けさせてくれるものの前には這いつくばう」(『雁』(森鴎外))。

◎「つくばひ(蹲ひ)」(動詞)

「つくみはひ(「つ」組み這ひ)」。「つ」を組む、とは、体勢が「つ」の形体状態になること。人の身体を横から見、膝、腰がたたまれ視線が下がり、「つ」のような印象状態になること。「はひ(這ひ)」はある情況動態になること→「はひ(這ひ)」の項。すなわち、「つくみはひ(「つ」組み這ひ)→つくばひ」は、「つ」のような印象の情況動態になること。情況にそれを現すこと。動態は「しゃがみ(屈み)」(その項)に酷似していますが、「しゃがみ(屈み)」はただ膝や腰が折られ畳(たた)まれた状態になるだけですが、「つくばひ」はその状態で頭頂や視線が下がり挨拶したような状態になる。立ったまま挨拶するわけではなく、かといって土下座するわけでもない、という状態。………