◎「はひ(這ひ・延ひ)」(動詞)

この「は」はH音の感覚感とA音の全体感による情況感覚感とでも言うような「は」であり、情況努力感というか、情況が努力しているというような意味を表現する。情況感が動態感をもって作用する→「は(葉)」の項の「H音の感覚感」。「はひ(這ひ)」という語は、赤ん坊が手と足膝で移動することがそう表現され、それを表現する動詞であるかのような印象もありますが、それは「はひ(這ひ)」の応用であり、この動詞はそれを表現するためのものではない。情況が努力するといっても情況という主体はないわけですが、「けはひ(気配):気(け)這(は)ひ」、気(け)が這(は)ふ、と言った場合、見えないが感じられ気づかれる「け」が情況動態になる。「さきはひ(幸):幸(さき)這(は)ひ」もそうです。情況動態になるとはその動態が、個別一過的なことではなく、常態的な一般的なことになることでもある(→「ならひ(習ひ) 」)。物的には何かが面的に広がっていったりする。「壁に蔦(つた)がはふ」(こうした用い方が「赤ん坊が這ふ」という表現にもなっている)。ちなみに、「這(シャ・ゲン)」の字には動詞「はひ」の意味はなく、赤ん坊が這(は)う意味もありませんが、ここでは慣用に従い動詞「はひ」を表す記号として用いている(「這(シャ)」は『廣韻』に「迎也」と書かれる字。これが「はふ」になるのは、人を迎えるさい、坐し頭を下げ挨拶し迎え、これが「はふ」の印象ということか?)。「延(は)ひ」という表記は、(とくに平面的に)のび広がる、という意味で書かれる。「延(は)ふ葛(くず)の」や「延(は)ふ蔦(つた)の」といった慣用表現もある。葛(くず)はどこまでも延びていく印象で言われ、蔦(つた)はわかれて進行していく印象で言われることが多い。

「神風(かむかぜ)の 伊勢(いせ)の海(うみ)の 大石(おひし)に はひもとほろふ 細螺(しただみ)の いはひもとほり 撃(う)ちてし止(や)まむ」(『古事記』歌謡13:「もとほろふ」は同じところをめぐるような状態になること(その項))。

「…言霊(ことだま)の 幸(さき)はふ(佐吉播布)国(くに)と 語(かた)り継(つ)ぎ 言(い)ひ継(つ)がひけり…」(万894)。

「谷狭(たにせば)み峰に延(は)ひたる(波比多流)玉葛(たまかづら)絶(た)えむの心(こころ)我(わ)が思(も)はなくに」(万3507:葛(かづら)が延びひろがることが「はふ」)。

「これ開けさせむ、と思(おぼ)すほどに、河原のほとりより、年九十ばかりにて、雪を戴(いただ)きたるやうなる嫗(おんな)、翁(おきな)、這ひに這ひ来て」(『宇津保物語』:這ふように老いた身で急いで歩(あゆ)んできた)。

「蚑行 ……蚑 音岐 訓波布」(『和名類聚鈔』:虫が移動することが「はふ」)。

「ひなひく鳥 ……………井上河州公の御吟に  はへはたて(這へば立て)たては(立てば)歩めと思ふにそ我身につもる老をわするる」(「俳諧」『類柑子』:赤ん坊が手や足膝で移動することが「はふ」)。

 

◎「はひ(灰)」

「ひあひ(火会ひ)」。火にあったもの、の意。燃(も)えたものとの違いは、火によって浄化されたものという表現がここにはあることです。

「蘇我臣入鹿(そがのおみいるか)、小德巨勢德太臣(せうとくこせのとこだのおみ)…を遣(や)りて山背大兄王等(やましろのおほえのみこたち)を斑鳩(いかるが)に掩(おそ)はしむ。…………………巨勢德太臣等(こせのとこだのおみら)、斑鳩宮(いかるがのみや)を燒(や)く、灰(はひ)の中(うち)に(馬の)骨を見(み)でて、誤(あやま)りて王(みこ)死(う)せましたりと謂(おも)ひて、圍(かくみ)を解(と)きて退(しりぞ)き去(さ)る」(『日本書紀』:いわゆる、山背大兄王(やましろのおほえのみこ:聖徳太子の嫡子)の事件(643年))。

「紫は灰(はひ)さすものぞ海石榴市(つばいち)の八十(やそ)の街(ちまた)に逢へる子や誰(た)れ」(万3101:紫の染色に椿の灰をもちいた。これは男が女におくった歌ですが、ようするに、「灰(はひ)さす」に「這(は)ひさす:夜這いさせる」がかかっているということか。これにこたえた女の歌が次の万3102にありますが、それは、どこの誰ともわからない人に名は教えられない、というもの)。

「…火桶(ひをけ)の火もしろき灰がちになりて…」(『枕草子』)。

「灰 ………波比 火燼滅也」(『和名類聚鈔』:この語、本書「灯火部」にある)。