◎「はなはだ(甚だ)」
「はなひあだ(端綯ひ徒)」。「は(端)」(末端部分域)を「なふ(綯ふ)」ことの期待が虚(むな)しい(「あだ(徒)」)こと。縄(なは)を綯(な)ひ、終わらず、末端を綯(な)う見込みが立たない。それが期待できない。つまり、際限がない。それが「はなひあだ(端綯ひ徒)→はなはだ」。この語は漢文訓読の世界で生まれたものらしい(「甚(ジン)」の訓読語とも言われる)。その世界に用例が多い。「はなはだし(甚だし)」という形容詞もある。
『類聚名義抄』には「孔 ……ハナハダ」「痛 ……ハナハダ」のような例のほか、「酷 ………ハナハタ ……アラアラシ イタシ」「殊 ……ハナハタ」のような、「タ」に濁点記号のない例もある。「はなはた」は、「端無機(はなはた)」ということか。ここで織り終わり、という端のない機(はた)・機織(はたお)り。縄綯(なはな)ひも機織(はたお)りも、ここで終了、という決断がなければ永遠に際限なく続く。「非常 メヅラシ ハナハタシ」(『類聚名義抄』)という清音の形容詞もある。
「…天地の 神もはなはだ(甚) 我が思ふ 心知らずや…」(万3250:この「甚」の読みは、はなはた、の可能性が高い)。
「はなはだも(甚多毛)降らぬ雨ゆゑにはたづみいたくな行きそ人の知るべく」(万1370:この「甚多毛」も、はなはたも、と清音でしょう。「多」は普通は清音でしょう)。
「異なる香気有るを聞ぐ。非常(ハナハタ)郁烈(さかり)なり」(『金剛般若経集験記』(天理図書館蔵)平安初期点)。
「端嚴にして甚(ハナハダ)愛樂す可きことを得しむ」(『地蔵十輪経』元慶(800年代末)点)。
「「…」など言ふに、人びと皆ほころびて笑ひぬれば、また、「鳴り高し。鳴り止まむ。はなはだ非常なり。座を引きて立ちたうび(たまひ)なむ(退席させますよ)」など、おどし言ふも、いとをかし」(『源氏物語』:これは博士が言っている。字(あざな:実名以外の、とくに、成人してつけられる、社会名とでもいうような名)を作る儀式に呼ばれた当時の博士であるから、漢文には詳しいであろう。『源氏物語』において、「はなはだ」という語はここで博士が言う言葉の中でしかもちいられていない)。
「「けふ、風雲(かぜくも)の気色(けしき)はなはだ悪(あ)し」」(『土佐日記』)。
「何ぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだ難き」(『徒然草』)。
「痛 …イタム(シ) タヘカタシ ハナハダ」「孔 アナ ハナハダ」(『類聚名義抄』:「孔(コウ)」は『説文』に「通也」、『廣韻』に「穴也,又空也,甚也」とされる字)。
◎「はなひ(嚔ひ)」(動詞)
「はなひ(鼻嚔)」。動詞「ひ(嚔)」に「はな(鼻)」が添えられた表現。鼻で「ひ(嚔)」をおこなう。「ひ(嚔)」(体内の気を一気に排出するような生理的発作を表現する)はその項。これは後世で言う「くしゃみ」なのですが、後世でも、それが起こると「誰かがうわさしている」と言われたりしますが、古代以来、それが起こると、誰かが自分を思っている、や、ある種の呪(まじな)いを唱えないと死ぬ、など、さまざまなことが言われる。古く上二段活用。
「眉根(まよね)掻(か)き鼻ひ紐(ひも)解(と)け待てりやもいつかも見むと恋ひ来し我れを」(万2808:眉のあたりが痒くなったり、クシャミが出たり、下着の紐が解けたりすると、誰かが自分を思っていたり、恋しくて会いたがっている、といった俗信があった。クシャミが出たりしたが、そんなにお前は私を恋しくて待っていたのかい、のような歌ですが。この歌には万2809の返しがあり、それは、それはあんたの方よ(こっちの方がたくさんクシャミが出た)、というもの)。
「うち鼻ひ鼻をぞひつる剣大刀(つるぎたち)身に添ふ妹し思ひけらしも」(万2637:これも、クシャミが出た。妹(いも)が私を思っているようだ、というもの)。
「にくきもの …………はなひて誦文する。おほかた、人の家のをとこ主(しゅう)ならでは、たかくはなひたる。いとにくし。蚤(のみ)もいとにくし…」(『枕草子』)。
「鼻 ……和名波奈………嚔 …和名波奈比流 噴鼻也」(『和名類聚鈔』)。
「「やや、鼻ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば…」」(『徒然草』:ここでの呪文は「くさめくさめ」と唱えるという簡単なもの。これは比叡山で兒(ちご)として修業している自分の養(やしな)い子を心配してのことだそうです。「くさめ」は「クシャミめ(救沙弥め:「め」は謙譲)」(沙弥(シャミ)めを救いたまえ)でしょう→「くしゃみ(嚔)」の項)。