「はてら(果てら)」。「ら」は何らかの情況やそうした情況にあるものを意味する。「はてら(果てら)」は、何かの果ての、終局の、情況やそうした情況にあるもの。何かの周辺域。たとえば「池のはた」は水のある域の無い域との境域を意味する(水の部分だけではなく、陸の部分も言う)。「舟ばた」が舟の内になり「池のはた」が池の外になるのは要するに人がどこに居るのかによって決まり、居る位置からの果てが「はた」です。また、それが何かの外側の近傍域も意味することから、「はた」は何かの側(そば)たる域やそうした状態にある何かも意味する。「はた迷惑」。

「𤮜 ……………都岐乃波太 器縁謂口辺也」(『和名類聚鈔』)。

「にくきもの ……………老いばみたる者こそ、火桶のはたに足さへもたげて、物いふままにおしすりなどはすらめ」(『枕草子』)。

「その內供の一つ腹にや、はたの御はらにや、治部大輔雅光と聞こえ給ひし歌よみおはしき」(『今鏡』:「內供(ないぐ)」は僧の役職名ですが、「一つ腹」は、同じ腹から、同じ女から、生まれていること。「はたの御はら」は、無関係ではないその周辺の腹、ということですが、ようするに、男が正式な妻以外の女に産ませた人、ということでしょう)。

「『イエモウ、店の者が色々な事を教(をせ)へましてどうもなりません。ませた口をきゝますに、側(はた)から附知恵(つけぢゑ)がございますから、いとゞおしやべりになります』」(『浮世風呂』)。

「池之端(いけのはた)」(東京都の地名)。