◎「はせ(馳せ)」(動詞)

この「は」は「はき(掃き)」「はり(墾り)」、さらには「はれ(晴れ)」、にあるような、H音の感覚感とA音の解放感による「は」ですが、日常感にない移動速度の早い情況変動感が解放感となり、動感を表現するS音の活用語尾、その(環境との)外渉感を表現するE音化、とともにこの動詞になった。「掃(は)き」は何かをそうする (「は」をする)。「晴(は)れ」や「墾(は)り」は情況がそうなったり情況をそうしたりする。「はせ(馳せ)」は情況にそうし、あるいは何かにそうさせる。これは速い速度で移動することですが、移動運動自体は自然本能的に起こる。自動表現も他動表現もある。「馬がはせ」「馬をはせ」。現実から遊離し何かを思うことも表現する。「思いをはせ」。

「曷(なん)ぞ能(よ)く雪山を指(さ)して長(なが)く驚(ハセ)。龍池に望みて一(ひとたび)息(いこ)ふ者あらむや」(『大唐西域記』(長寛元年点))。

「宇都宮(人名)京に在と聞へなば、頓(やが)て主の許へこそ馳(ハセ)来んずらん」(『太平記』)。

「大船五百余艘、順風に帆を揚て東を指て馳(ハセ)たり」(『太平記』)。

「捨身の處を望み。駕ヲ驟(ハ)セテ前(スス)ミ行(ユ)キ。竹林の所に詣(いた)り」(『金光明最勝王経』(平安初期点):この「駕(ガ)」は馬にひかせた乗り物か)。

「心にかかることあらば、その馬を馳すべからず」(『徒然草』)。

 

◎「はぜ(爆ぜ)」(動詞)

「はさせ(『は』させ)」。「はさせ」の「は」は、「はり(墾り)」「はれ(晴れ)」などにある、変化出現を表現する情動的な発声であり、文法では、感動詞、と言われる「は」にもなっているそれ。「させ」は使役表現。この「はさせ」が強意化し「はっ」のような音になりつつ「はぜ」のような音になる。「させ」は使役ですが、なにに対する使役かといえば、自己に対する、であり、自己の自己に対する使役が他から作用を受けない自発現象、自然現象であることを表現する。すなわち、「はさせ(『は』させ)→はぜ」は、自発的・自然現象的瞬発的変化出現を表現する。たとえば、一瞬にして表面が裂け内部が現れるようなことです。これが強いエネルギーで起これば爆発的な事態になる。つまり「はぜ(爆ぜ)」がエネルギーの爆発を表現する。「(火に入れた)栗がはぜ」。

「一昨日(おとつひ)こたつの火がはぜて左の足をやけどなされ」(「浮世草子」『好色万金丹』)。