◎「はし(箸)」

「はすい(挟すい)」。「はす(挟す)」に関しては「はさみ(挟み)」の項参照(動詞「はし(端し・挟し)」の連体形)。「い」は指示代名詞のような「い」(→「い」の項参照)。「はすい(挟すい)」は、何かに対し、その何かの対環境表面域を、全体感をもって触れる情況になるそれ、の意。なぜ全体感があるかと言えば、「はす(挟す)」の語尾U音の遊離した動態感によりその動態は客観的に存在化・一般化し、その触れは対象全域におよび、その何かを自在に全的に移動させもするからです。それはただ何かの両端側から同時に触れる(すなわち挟(はさ)む)だけではない。「はすい」はそれを全的に移動させる。これは先端へいくにつれ細くなる二本の棒状の食事道具ですが、古代の箸は、後世のもののように二本に分かれておらず、弾性のある一本の棒を曲げ閉じたような形態のものだった。

「此(この)時(時)箸(はし)其(そ)の河(かは)從(よ)り流(なが)れ下(くだ)りき」(『古事記』)。

「箸 ……和名波之」(『和名類聚鈔』)。

「小さき御台、御皿ども、御箸の台、洲浜なども、雛(ひひな)遊びの具と見ゆ」(『紫式部日記』)。

 

◎「はし(橋・階)」

「へあし(経足)」。経過のための足になるもの。通常、足のない状態(その地点へ行くことができない)がそれにより足のある状態(その地点へ行くことができる)になるもの・施設。その施設により川の此岸と彼岸の行き来をしたり(橋)、高位置と低位置の行き来をしたり(階)する。後者のような用いられ方の「はし(階)」は後には一般に「カイダン(階段)」と言われる。これは「きざはし」とも言う(→「きざはし(階)」の項)。橋桁(はしげた)の間に間(ま)をおいて横木を渡し設置したようなものは「はしご(梯子)」と言われるようになる。

「國(くに)の內(うち)の巫覡(かむなき)等(ら)、枝葉(しば)を折(を)り取(と)りて、木綿(ゆふ)を懸掛(しでか)けて、大臣(おほおみ)の橋(はし)を渡(わた)る時(とき)を伺候(うかが)ひて、爭(いそ)ぎて神語(かむこと)の入微(たへ)なる說(ことば)を陳(の)ぶ」(『日本書紀』)。

「天の川橋(はし:波志)渡せらばその上(へ)ゆもい渡らさむを秋にあらずとも」(万4126)。

「そこを八橋(やつはし)といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つわたせるによりてなむ八橋(やつはし)といひける」(『伊勢物語』)。

「階(はし)をのぼりもはてず、(薫が)つい(つき)ゐたまへれば、「なほ、上に」なども、のたまはで、勾欄(こうらん)により居給ひて…」(『源氏物型』:階(はし)の途中で「衝(つ)き居(ゐ)」とは、階段の一段に腰かけたということか)。

「橋 …和名波之 水上横木所以渡也」「梯 …和名加介波之 木堦所以登高也」(『和名類聚鈔』)。

「…神庫、此云保玖羅。五十瓊敷命(いにしきのみこと)の曰(いは)く「神庫(ほくら)高(たか)しと雖(いへど)も、我(われ)能(よ)く神庫(ほくら)の爲(ため)に梯(はし)を造(た)てむ。豈(あに)庫(ほくら)に登(のぼ)るに煩(わづら)はむや」」(『日本書紀』:この「はし(梯)」は、はしご、か、階段、かですが、これは「大中姫(おほなかつひめ)」が登るためのものであり、なだらかな梯子(はしご)のようなものか。それが常設されれば、階段)。