「はか(努果)」の動詞化。「はか(努果)」の努力情況があること。「はか(努力)」はその項参照(7月29日)。「はか(努力)」には語頭「ふ(経)」の意味のそれと「へ(経)」の意味のそれがあり→「はか(努果)」の項、「ふ(経)」はそのU音の遊離した動態感により(→「いく(幾)」の項)、想的な、それゆえ未来的な、経過を表現し、「へ(経)」は、そのE音の外渉感により現実進行的・進行完了的、経過を表現する。それにより、「はかり」も想的な、それゆえ未来的な、努力情況があることを表現する場合と、現実進行的・進行完了的、努力情況があることを表現する場合が有りうるわけですが、現実進行的・進行完了的、努力情況とは、その努力そのもの、たとえば、穴を現すという努力・穴を現すという成果努力、は「ほり(掘り)」であり、それを「穴をはかり」と表現する現実的必要性はまずない。つまり、「はかり」は、語頭「ふ(経)」の意味のそれ、想的な、それゆえ未来的な、成果努力をすること、を意味することになる。ある成果の現実化のためにどうすればよいか考えたり、複数の人で相談したりする。そうした、単数・複数の人の努力すべてが「はかり(計り・推り・諮り・図り)」。対象相互の交換比率を思索し知る、対象たるものやことの物的規模(長さ、重さ、嵩(かさ:量)など)や時間の長さを知り単位表現する―これらも思考的、想的・思念的成果努力であり、「はかり(測り・量り)」。そのために用いられる道具も「はかり(秤)」。また、動詞「はかり」の全体計画性、結果推想性が他者を操作することとして現れている場合、それは「だます(騙す)」のような意味になる(「謀り」:これは「たははかり→たばかり(謀り)」にもなる(「たばかり」は、十分深く考える、という意味にもなる))。

「故(かれ)、思兼神(おもひかねのかみ)、深(ふか)く謀(はか)り遠(とほ)く慮(たばか)りて」(『日本書紀』)。

「この楫取(かぢとり)は日もえ計(はか)らぬかたゐなりけり」(『土佐日記』:ここでの「日をはかる」は気象を予測し判断すること。これは楫取(かぢとり)が「風雲の気色はなはだ悪し」と言って船を出さなかったが気象状況はなにごともなかったことを受けて言っている。「かたゐ(片居)」は乞食ですが、ここでは罵(ののしり)として言っている)。

「海底の奥は深けれ共釣すべく、雲上の鳥は高けれ共射つべし。はかりがたきは人心(ひとごころ)…」(「浄瑠璃」『鎌田兵衛名所盃』)。

「時に市人評(はか)りて曰く、「その篋(はこ)を開くべし」といふ」(『日本霊異記』:市人たちが思いや考えを言い合った)。

「誼議 以言捔力也 此此彼彼心相知皃淪阿止久 又波加留 又阿良曾不 阿比論須」(『新撰字鏡』(天治本):この部分、享和本の『新撰字鏡』では「誼議 以言捔力也 此彼之心相知皃 阿止 又阿良曾不 又相論須」となっている。「捔力」は相撲。「阿止(あど)」は返答することであり、「阿止久(あどく)」はその動詞化でしょう。「淪」は一般にそう読まれるのですが、「論」でしょう。「訁(ゴンベン)」と「氵(サンズイ)」は手書き崩し字では酷似することがある。つまりこれは「論阿止久(ロンあどく)」であり、議論しあうこと)。

「何故ニ仏ヲ无上尊ト名ヅク………。外道ハ丈尺ヲ以テ計(ハカ)リシカドモ、知ルコト能ハズ…」(『東大寺諷誦文稿』)。

「其後ニ人マヲハカリテ龍樹菩薩ハ賢ウ宮ノ内ヲハ逃(ニケ)ノカレ給テ」(『打聞集』:「人間(ひとま)をはかる」は、人の居ない機会をとらえ、ということ)。

「世に従はん人は、先づ、機嫌(きげん:その時がその折、その機会か)を知るべし……但(ただ)し、病(やまひ)を受け、子(こ)生(う)み、死ぬることのみ、機嫌(きげん)をはからず、ついで悪(あ)しとてやむことなし」(『徒然草』)。

「国家を傾亡せむと謀(ハカ)レリ」(『続日本後紀』承和九年七月戊午)。

「達人の人を見る眼(まなこ)は、少しもあやまる所あるべからず。たとへば、或る人の、世に虚言(そらごと)をかまへ出(い)だして、人をはかることあらんに、すなほに、まことと思ひて、言ふままにはからるる人あり」(『徒然草』:この「はかり」は人を操作し騙すこと)。

「又(また)、高麗(こま)の使人(つかひ)、羆皮(しくまのかは)一枚(ひとひら)を持(も)ちて、稱其價(あたひはか)りて曰(のたま)はく、綿六十斤(わたむそはかり)といふ」(『日本書紀』:これは交換価値比率を考え、決めること。双方をはかり、同じはかりにする)。

「はかり知れない」(規模を知ることはできない)。「長さをはかる」。「土地の面積をはかる」。「時間をはかる」。「機会をはかる:チャンスを狙う」。「おしはかる(推し推る:推量する)」。「会議にはかる(諮る):会議にかけ協議する」。「はかったな(謀ったな):騙したな」。「はからずも(思いもせずに)」。「天秤ばかり(天秤秤)」。