「~むみは(~む見は)」と「~いへむは(い経むは)」がある。
・仮想推想
「~むみは(~む見は)」。「む」は何かを推量する。意思・推量の助動詞です。「み(見)」は、空想し(見るように)思っていることを表現する。「は」は条件を表現する→「は(助)」の項(7月24日)。この「は」により、「は」以下がある条件下におかれる。
「~むみは(~む見は)」は、それ以下の、「は」以下の、表現が仮想推想の、「~む見(み)」の、条件下におかれる。「花咲かば」は、花、咲かむ、見は・花が咲くだろうその状態で見える(空想する)ことは・花が咲くだろうその状態になったその見は、の意。つまり、~ならば、ということです。つまり、「花咲かば」は、花咲くなら、や、花咲いたら、ということ。「海行かば水浸(みづ)く屍(かばね)」(万4094)。「命あらば逢うこともあらむ」(万3745)。
この仮想推想の「ば」は動詞の未然形に接続すると言われるわけですが、それはこの「ば」に含まれる意思・推量の助動詞「む」の効果であって、「ば」の効果というわけではない。
後世、室町時代ころ、には動詞語尾E音で仮定を表現するようになる。「行かば良き…」ではなく、後世の「行けばいいのに」という類型の表現。後世の「ば」だけで仮定条件を表現するような表現(→「行かずばなるまい」)に関しては「ずんば」の項(2023年5月30日)。
・現状推想
「~いへむは(い経むは)」。「む」は何かを推量する。これは意思・推量の助動詞であり、「へむ(経む)」は経過が推想されている。「は」は上記と同じ条件表現ですが、冒頭の「い」は指示代名詞のようなそれ(→「い」の項(2019年10月8日))であり、動詞連体形につくそれは、たとえば「咲くい」なら、「咲くそれ」と、咲くことやものを表現する。そして「咲くい経むは」と言った場合、その咲くことが経過していることは…、と現状が推想され、それが「は」で提示され以下の表現はその現状推想の条件下におかれる。すなわち、~なので(~なのに)ということである。つまり、「花咲けば」は、咲いているので。「春なればうべも咲きたる梅の花」(万831:春なので見事に咲いた)。「(的(まと)まで)遠かりければ海へ…(馬を)打ち入れたれども…」(『平家物語』:遠いので打ち入れた)。これは以下の叙述が現状推想の条件下におかれるだけで、それが順接表現になるか逆説表現になるかはその前後にどのようなことが言われるかによって決まる。「春なれば暖かし」は順接、「春なれば寒し」は逆説です。後には順接が一般的になりますが、歴史的には逆説表現も現れている。「秋立ちて幾日(いくか)もあらねばこの寝(い)ぬる朝明(あさけ)の風は手本(たもと)寒しも」(万1555:秋になって幾日もたっていないので寒い、と順接で理解した場合この表現は異様です。これは逆説表現なのです)。「襲(おすひ)をも いまだ解(と)かねば…」(『古事記』歌謡2:「襲(おすひ)」は上衣。それを脱いで息(やす)んでもいないのに戸も開かず夜が明けそう、ということであり、これも逆接)。「飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」(万893:鳥ではないので飛び立つことができないでいる。これは順接)。「袖振らば見も交しつべく近けども渡るすべなし秋にしあらねば」(万1525::七夕ではないから渡れない、という歌であり、これも順接)。
この現状推想の「ば」は動詞などの已然形に接続すると言われるわけですが上記のような変化を生じた動詞が「已然形」と表現されるということです。
「たけばぬれたかねば長き(多氣婆奴礼 多香根者長寸)妹(いも)が髪このころ見ぬに掻入(かき)れつらむか」(万123:「たき」は、何かをまとめ高めた状態にすること→「たき・たけ」の項。「ぬれ(解れ)」は、ほどけ、のような意)。