は・ひ・ふ・へ・ほ   日本語のハ行音に関し、古くはパ行音だかバ行音だかの音だったという人がいる。それが「通説」だと言う人もいる。何を根拠に言ってるのかと思えば、根拠はほぼ三つ。すなわち、

(1) 「は・ひ・ふ・へ・ほ」を文字表現するところの、昔の「万葉仮名」と呼ばれる漢字が、中国の、字音、すなわち漢字音、に関する研究・考察の表現で言うところの、「唇音」だから。「唇音」とは「ぱ」「ば」「ま」といった語音。これらの発音では唇(くちびる)がパクパク動くから。

(2)800年代中頃に書かれた書き物に、サンスクリット語の、英語のアルファベットで書けば「pa」音の説明に、日本の「波」の字音、と書いてあるから。

(3)1500年代のナゾナゾに、「はは(母)に二度会ふ」の答えが「くちびる」だから。

根拠はほぼこの三つ。万葉仮名も中国の漢字音研究もよくわからない人は(3)のナゾナゾだけでそう言っている人もネットにはいる。

まず(1)ですが。ハ行の万葉仮名を一字ずつ 「波(は) 比(甲類ひ) 非(乙類ひ) 布(ふ) 敝(甲類へ) 倍(乙類へ) 富(ほ)」 を選び、その漢字の音(オン)が中国の反切や現代中国の英語系アルファベット表記(拼音(ピンイン)の英語系アルファベット表記版(中国の独自の記号版もある))でどのように表現されているかの一部を記すと。

・波 『廣韻』「博禾切」。中華人民共和国アルファベット表記 bo

・比(甲) 『廣韻』「𤰞履切」、『正韻』「補委切」。中華人民共和国アルファベット表記 bi

・非(乙) 『唐韻』「甫微切」、『集韻』「匪微切」。中華人民共和国アルファベット表記 fei

・布 『廣韻』「博故切」。中華人民共和国アルファベット表記 bu

・敝(甲) 『廣韻』「毘祭切」。中華人民共和国アルファベット表記 bi

・倍(乙) 『廣韻』「薄亥切」、『集韻』「補妹切」。中華人民共和国アルファベット表記 bei

・富 『廣韻』「方副切」。中華人民共和国アルファベット表記 fu

つまり、英語系アルファベットにおける「b」音や「f」音がどのような音かは説明の要はないでしょうけれど、反切で子音は「博 𤰞 補 甫 匪 博 毘 薄 方」で表現されており、これらの字は『韻鏡』ですべて唇音。『韻鏡』は、誰が書いたかはよくわかりませんが、書かれたのは900年代前半ころかとも言われる中国の書で、1100年代後半に出版された(ただし、現代では日本にしか(再版本が)残っていない。中国には原稿も元版本も再版本もない。日本の再版本による活字版や写真版の出版は中国にもあるのかもしれませんが、それは不明)。この『韻鏡』は、唇音、舌音、喉音といった、語の発音動態やその身体態様で語音を分類している。

それにより、たとえば万葉仮名で「はな(花)」が「波奈」と書かれていた場合、「波」は唇音だ、日本人はみんな野に咲いているのは「はな」だと思っていたが、あれは「はな」じゃない、「ぱな」だ、―そんな結論が引き出されている。一般の人はそんなことは思いつきもしないであろうし、思いついたとしてもそんなアホなことは恥ずかしくてとても言えないであろうけれど、言語学者や国語学者は平気でそれを言う。功名に駆られ。彼らはそれを「学説」と表現している。「はな(花)」が「ぱな」であり「はは(母)」が「ぱぱ」であることは彼らが真理としてたどりついた「学説」です。言語学者や国語学者の功名心以外に、なにが原因でこういうことが起こるのかというと、中国語にハ行(ha行)音、とりわけ、「は」「ひ」「へ」の音、がないからということでしょう。中国語は歴史的に音が変化し(発音動態が変化し)、特にK音系の音はJ音系へ向かい、「カイ(海)」が「ハイ(hai)」になったりということは起こりますが、中国語にそのような音はないということでしょう。「は」の音(オン)のない言語を表現している文字で、すなわち漢字で、日本語の「は」を表現するにはどうするか。発音動態や音の似た語を現わしている文字で代用する。それが日本語の「は」を表す「波」(下記※)。漢字は本質的に絵であり、表音性はなく、そうしたことも可能なのです。中国語の文字、すなわち漢字、は音(オン)を表現しない。たとえば「山」は山(やま)の映像を、その視覚印象を、表現する。その視覚印象を、すなわち「山」を、人は「サン」とも「やま」とも「マウンテン」とも表現し得る。すなわち「山」は「サン」とも「やま」とも「マウンテン」とも読める。その結果、たとえば『韻鏡』において「波」が、すなわちその中国語の「波」が、唇音であったとしても、それは日本語を文字表現する「波」が、それにより表現される日本語の「は」が、唇音であることは意味しない。日本語の「は」を「喉音ハ」と表現するなら、「喉音ハ」は中国語にはない。そこで唇音「は」の文字が利用される。古代の日本語の「は」が子音表現努力が後世より強く、21世紀の「ふぁ」に近い音(オン)だった可能性は否定できない。しかしそれは「唇音ハ」ではなく、「喉音ハ」。

※ 万葉仮名には「多気婆奴禮(高(た)けば解(ぬ)れ)」(万123)のような「婆」を「ば」につかった表記もあれば「有麻世波(あらませば)」(万603)のような「波」を「ば」につかった表記もあり、「波」は「ば」の表記にも使われている。「婆」に関しても「伊毛婆摩可奈之(妹(いも)はま愛(かな)し)」(万3567)といった「婆」を「は」につかった表記はある。「国原波煙立龍(国原(くにはら)は煙(けぶり)立ち立つ)」(万2)のような、「波」による「は」はありきたりにある。

つぎに(2)。

慈覚大師(円仁)の『在唐記』(『在唐決』とも言われている。800年代中頃のもの)に、サンスクリット語アルファベット音の説明として

प 唇音以本郷波字音呼之下字亦然皆加唇音」

がある。「प」は英語系アルファベットで「pa」のような音。「本郷」は彼が中国(唐)にいる場合の本郷であり、日本のこと。「प」は唇音で、日本の「波」の字音で発声する…。これを読んで日本の「波」の字音が唇音であることの証拠だと言っている言語学者がいる。しかし、日本の「波」の字音が唇音なら、पは日本の「波」の字音、と書けばそれでよくはないか? すべての日本人はそれで了解するのではないか? 「प 唇音」と書く必要はあるか? 「ब्」(b音)に関し本書は「ब् 以本郷婆字音呼之」と書き、「唇音」は書かない。「ब्」が唇音であることは書かない。なぜなら「婆」の本郷(日本)での字音は「ば」だから(下記※)、唇音だから。上記の 「प 唇音以本郷波字音:प(pa)は唇音で「波」の字音で」 は「波」は唇音ではないということである。「波」が唇音でなければそれは「は」。現代でも「波」は中国では「bo」、日本では「は」。

※ 「婆」は『廣韻』「薄波切」。中華人民共和国アルファベット表記 po。「薄」は『廣韻』「傍各切」。中華人民共和国アルファベット表記 bao とbo。800年代中頃には「婆」は「ば」であり「波」は「は」であることが安定しているということである。『万葉集』の時代にはまだある程度不安定です。

つぎに(3)。

1500年代の書き物(『体源鈔』や『後奈良院御撰何曾』)に「母ニハ二度アフテ、父ニハ一度モアハズ  クチビルトトク」や「ははには二度あへども、ちちには一度もあはず」といったナゾナゾがあり、「はは」と言って唇(くちびる)がパクパクと二度合うということは「は」が唇音であることの証拠でこれは言語学的に貴重な資料だと言っている言語学者がいるという問題。これは、唇音だのなんだのの、中国で言われた語の発音動態が1500年代の日本の人々のナゾナゾ遊びにおいてナゾナゾを解くカギになるなどということが不自然なことであり、これを読んだ20世紀の国語学者(これを最初に言いだしたのは動詞「ごまかす」の語源は胡麻の菓子だと言っている国語学者・新村出(しんむらいずる))の思い込みがそう読ませたということでしょう。また、「唇(くちびる)があふ(合ふ・会ふ):自分の唇が自分の唇にあふ」という表現も不自然。『あの人は寝るときいつも唇があっている』だの『彼は唇をあわせてくやしそうに立っていた』といった表現はなされていない。前記のナゾナゾは、同じようなことは古くから言われていますが、唇(くちびる)は(オッパイを飲む際)母(はは)に会い、やがて歯が生えて歯歯(はは:たくさんの歯)に会い、二度会い、「ちち(父・乳)」には一度も会わない(唇は乳に触れない(唇は乳に触れず乳は体内へ入る))、ということでしょう(「はは」は「ぱぱ」だから二度会う、という意味ではない)。これは、赤ん坊の命をつなぐのは母親であり、父親はなにもしていないぞ、ということ。

 

つまり、昔の日本語の 「はひふへほ」 は 「ぱぴぷぺぽ」 や 「ばびぶべぼ」 だったという「学説」は功名心に駆られた言語学者や国語学者によるヨタ言(ごと)。