「のりおひ(告り逐ひ)」。「のり(告り)」は言語影響・言語作用がすべてを内包し普遍化していくこと(→「のり(告り・罵り)」の項・7月14日)。「おひ(逐ひ)」は目標・対象に対し遊離感のある目標感のある動態情況になること(→「おひ(追ひ・逐ひ)」の項)。つまり、なにかを遊離させること。つまり、「のりおひ(告り逐ひ)→のろひ」は、すべてを内包し普遍化していく言語影響・言語作用によりなにものかやなにごとかをそのすべてを内包し普遍化する世界から遊離させる努力をすること。つまり、それが人なら、その言語影響・言語作用によりその人を死なせる、殺す、ということです。仏教系(密教系)、神道系、陰陽道系などで様式化している呪詛もある。民間の「丑の刻参り(うしのこくまゐり)」などもそれ。

「時(とき)に久氐(クテイ)等(ら)、天(あめ)に向(むか)ひて呪(のろ)ひ詛(とご)ふ。新羅人(しらきひと)其(そ)の呪(のろ)ひ詛(とご)ふことを怖(おそ)りて殺(ころ)さず」(『日本書紀』:「とごひ(呪ひ)」はその項・2024年9月27日)。

「牛を将(ゐ)たる人、その僧を嘖(せ)めて曰(いは)く。『汝、牛を咒殺せり』… (文末訓釈)………咒 乃呂比天」(『日本霊異記』(興福寺本))。

「呪 …ノロフ」「蠱 ………ノロフ」(『類聚名義抄』)。

「詛 咒也 咀也 乃呂不」(『新撰字鏡』)。

 

◎「のんびり」

「ノンびルイ(暖日累)」。「ノン」は「暖」の唐音。「のんき(呑気)」などのそれ(「呑」は当て字。この語は元来は「暖気(ノンキ)」であり、「暖気(ノンキ)する」が、遊山などの気晴らしをすること。これが世の煩わしさから解放されることも意味する)。「累(ルイ)」は重(かさ)なること。「ノンびルイ(暖日累)→のんびり」は、その「ノン(暖)」の「日(ひ):太陽でもあり一日でもある」が累(かさ)なりつづくこと。

「此時(このとき)御者(ぎよしや)が陽氣(やうき)な調子(てうし)で喇叭(らつぱ)を吹(ふ)きたてる。如何(いくら)嫁(よめ)いびりの胡麻白(ごましろ)婆(ばあ)さんでも此時(このとき)だけはのんびりして幾干(いくら)か善心(ぜんしん)に立(た)ちかへるだらうと思(おも)はれる」(『湯ヶ原ゆき』(国木田独歩))。

「のんびりした性格」(世の中のことや将来のことなど、いろいろと案じたりそれに応じて活発に動いたりすることが乏しい)。