「ねおほり(音大り)」。音(ね)は響きであり相互影響・相互作用(→「ね(音)」「ね(値・価値)」の項・5月18日)。ここで言われているのは言語影響・言語作用。「おほり(大り)」は「おほ(大)」の情況になること。「おほ(大)」の情況になる、とは、すべてを内包し普遍化していくこと(→「おほ(大・多)」の項・2020年11月18日)。響きたる相互影響・相互作用、言語影響・言語作用、がすべてを内包し普遍化していくとは、それが公(おほやけ)の「ね(音・値・価値)」になるということです。その「ね(音・値・価値)」が「公(おほやけ)」になる、とは、その「ね(音・値・価値)」は言語当事者双方にとっての第三者たる「人(ひと)」一般の「ね(音・値・価値)」だということ。また、言語影響・言語作用、がすべてを内包し時空普遍化していくということは、その言語影響・言語作用により表現される具体的なことたる内容は神の世界と交信し神聖さが生じるほど意味性の深いことや価値性の尊いことであったりもする→「のりと(祝詞)」「みことのり(詔)」。名(な)を表現することは「のり」と言われる→「名(な)のる」。

注意をようすることは、「ねおほり(音大り)→のり」とは、「ね(音・値)」が「おほ(大・多)」と現れること・現れるそれ、「公(おほやけ)」たる「ね(音・値・価値)」をあらはすこと、あらはされたそれ、であり、権威あるとされる何者かがなにごとかを言うこと、あるいは、権威あるとされる機関がなにごとかを決定し発表すること、それが「告(の)り」になるというわけではない(つまり、偉いとされる者が大きな声を出すことが「告(の)り」というわけではなく、言(こと)たる「ね(音・値)」が時空普遍化・公(おほやけ)化していることが「告(の)り」 (→「のり(法・典…)」の項)。

その連用形名詞化は「法・範・則・規・矩・準・憲・倫・典・制・程・度」等の字で書かれる「のり」。

・「おほ(大)」の権威で威圧するという意味で言われる「のり(罵り)」という語もある。その場合の「おほ(大))」は、意味・価値として「おほ(大)」なのではなく、物理的音量として「おほ(大)」。声を荒げる、に意味は似ている(この「のり(罵り)」は「告(の)り」とは別語として扱っても問題はない)。

「大坂に 遇(あ)ふや嬢子(をとめ)を 道(みち)問(と)へば 直(ただ)には告(の)らず(能良受) 當藝麻道(たぎまち)を告(の)る(能流)」(『古事記』歌謡78:(山道の)大坂に遇うか?こんな嬢(をとめ)に…、という状態で道を問うと、きまりきった道をこたえるのではなく、當藝麻道(たぎまち)を告げしらせた。これは、山の中ではあなたの命を狙う者たちがあなたを探している。迂回して行きなさい、と教えている)。

「下つ毛野阿蘇の川原よ石踏まず空ゆと来ぬよ汝が心告(の)れ(能礼)」(万3425)。

「夕卜(ゆふけ)にも占(うら)にも告(の)れる(告有)今夜(こよひ)だに来まさぬ君をいつとか待たむ」(万2613)。

「畏(かしこ)みと告(の)らず(能良受)ありしをみ越道(こしぢ)の手向けに立ちて妹が名告(の)りつ(能里都)」(万3730)。

「天(あま)つ罪(つみ)と、畔(あ)放(はな)ち、溝(みぞ)埋(う)み、…………逆(さか)剥(は)ぎ、屎戸(くそへ)、許多(ここだく)の罪(つみ)を天(あま)つ罪(つみ)と法(の)り別(わ)けて…」(『祝詞』「六月晦大祓」)。

「普爲衆弘宣(ノ)リタマヒテ 諦究竟堅法 令諸有情類 滅苦及苦因」(『地蔵十輪経』800年代後半点:普(あまね)く衆の爲(ため)に諦究竟堅の法を弘め宣(の)りたまひて 諸(もろもろ)の有情の類をして苦と苦の因を滅せしめたまひぬ)。

(以下は「のり(罵り)」)

「おのれゆゑ罵(の:詈)らえて居れば青馬の面高夫駄(おもたかぶだ)に乗りて来(く)べしや」(万3098:「面高夫駄(おもたかぶだ)に」は、高慢そうな馬にでさえ→「おもたかぶだに」の項。「罵(の)らえ」は、大声で怒鳴られている)。

「罵 …ノル サイナム」「詈 …ノル サイナム」(『類聚名義抄』)。

「世ノ人、反リテ愚癡ナリト云フ。詈(ノ)リテ言ハク…」(『東大寺諷誦文稿』)。