「のをみ(のを廻)」。「の」「を」は助詞。「の」は所属を表現し「を」は状態を表現する(→それぞれの項)。動詞「み(廻)」は対象世界全域に存在の生態的な動態感を生じさせていることを表現する。対象世界全域がその動態で埋まる→「み(廻)」の項(たとえば「うち廻(み)る(宇知微流)島の埼埼(さきざき)」(『古事記』歌謡6)と言った場合、「うち」は現れ現実化していることを表現し(その項)、島の埼埼(さきざき)くまなくそのひとつひとつ、その総体たるすべてたる島の埼埼(さきざき)が意味される)。「のをみ(のを廻)→のみ」は、たとえば「桜のを廻(み)咲く→桜のみ咲く」と言った場合、それは、桜のを、桜の咲きを、廻(み)、咲く。桜の咲きが、それだけで対象世界全域がその動態で埋まり、咲く。それにより、世界全域に桜が咲くという動態しかない独占でもあり強調でもある表現になる(下記※)。この「AのみB」という表現のAは名詞の場合もあり、動詞連用形の場合もあり、形容詞連体形の場合もあり、形容詞連用形の場合もあり、ク語法表現の場合もある。また「それだけではなく」のような意味の「~のみならず」という表現も生まれ、「~のみ」だけで「~のみならず」が表現されたりもする。

※ つまり、桜のを廻(み)咲く、は、桜の咲きを廻(み)咲く→桜の咲きが事象全体を埋めつくし咲く、という表現がなされているわけです。その場合の「を」の用い方にかんしては、「さ寝(ね)を寝(ね):佐禰乎佐禰」(万3414)「いを寝(ね):伊乎禰」(万4400)のような、状態を表現する「を」。

「玉葛(たまかづら)花のみ咲きて(花耳開而)ならずあるは誰が恋にあらめ我れ恋ひ思ふを」(万102:この前にある「実ならず…」(万101)という歌の返し。「Aのみ」の「A」が名詞)。「我妹子が形見の合歓木(ねぶ)は花のみに(花耳尓)咲きてけだしく(たしかに)実にならじかも」(万1463:「花のみに」という表現。「けだし」はその項)。

「一年(ひととせ)に七夕(なぬかのよ)のみ逢ふ人の恋も過ぎねば夜は更けゆくも」(万2032:「過ぎねば」は逆接。過ぎていないのに)。

「後も逢はむと 大船の 思ひ頼みて 玉かぎる 岩垣淵の 隠りのみ(隠耳) 恋ひつつあるに」(万207:「Aのみ」の「A」が動詞連用形)。

「ある人のあな心なと思ふらむ秋の長夜を寝覚め臥すのみ」(万2302:「Aのみ」の「A」が動詞終止形)。

「…世間(よのなか)は かくのみならし(迦久乃尾奈良志) 犬じもの 道に伏してや…」(万886)。

「『「御手はいとをかしうのみなりまさるものかな」』」(『源氏物語』:「Aのみ」の「A」が形容詞連用形)。

「けふは白馬(あをむま)を思へど、(旅路にあるので)甲斐なし。たゞ浪の白きのみぞみゆる」(『土佐日記』:「Aのみ」の「A」が形容詞連体形)。

「…この山の 尽きばのみこそ この川の 絶えばのみこそ…」(万1005:「Aのみ」の「A」が「~ば」による条件提示)。

「人の恩をかうむりて、その恩を報ぜん(報ぜぬ)のみ、かへつて人に仇(あた)をなせば、天罰たちまち当たるものなり」(『伊曾保物語』:「のみならず」の「ならず」が省略されている)。

「爲報往恩 我今禮(ライ)ヲ致(イタ)サクノミ」(『金光明最勝王経』巻第十「捨身品第二十六」平安初期点:「Aのみ」の「A」が(致す、の)ク語法。ちなみに、この部分の後世の一般の読みは「往恩(わうおん)に報(ほう)ぜんが爲(ため) 我(われ)今(いま)禮(らい)を致(いた)す」。原文は「爲報往恩我今致禮」)。

「「人天を利せむとして、地より而(しか)も涌出すらくのみ」(『金光明最勝王経』巻第十「捨身品第二十六」平安初期点:原文は「爲利於人天 從地而涌出」)。

「而已 ナラクノミ マクノミ」「耳 ………ナラクノミ マクノミ」(『類聚名義抄』:「ならく」は「~なり」の、「まく」は「~む」の、ク語法。「而已」や「耳」がなぜ「のみ」と読まれるのかは、ようするに、漢文訓読の際、意味としてそのように読まれた、ということ)。