◎「のぼり(上り・昇り・登り)」(動詞)
「のびもゆる(伸び燃ゆる)」の独律動詞化。伸(の)び燃(も)ゆる火(煙)→のぼる火(煙)、といった表現から「のぼる」が「のぼり」の連体形と思われ「のぼり」が独律動詞化した。温度の高い気体は地球中心から遠ざかる。地球表面を基点に言えば、上昇する。そうした動態になっているなにかが「のびもゆる(伸び燃ゆる)→のぼる」なにか。太陽の動きがそうした印象になれば「日が昇(のぼ)る」、人が木に対しそうした動態になれば「木に登(のぼ)る」。
「梯立(はした)ての 倉椅山(くらはしやま)は 嶮(さが)しけど 妹(いも)と登(のぼ)れば(能煩禮波) 嶮(さが)しくもあらず」(『古事記』歌謡71:山をのぼる)。
「なほめでたきこと………………庭燎(にはび)の煙(けむり)のほそくのぼりたるに…」(『枕草子』:煙が空へあがっていく)。
「つぎねふや 山代河(やましろがは)を 河上(かはのぼり:加波能煩理)」(『古事記』:上流へ行く)。
「大君(おほきみ)の命(みこと)畏(かしこ)み於保(おほ)の浦(うら)をそがひに見(み)つつ都(みやこ)へ上(のぼ)る(能保流)」(万4472)。
「(中宮の)御前(おまへ)に、人々、所もなくゐたるに、今のぼりたる(自分:清少納言)は、少し遠き柱もとなどにゐたるを、とく御覧じつけて、「こち」と仰せらるれば、道あけて、いと近う召し入れられたるこそうれしけれ」(『更級日記』:中宮の御前(おまへ)に行くことを「のぼる」と言っている)。
「『…つつましとものを思ひつるに、気ののぼりぬるにや…』」(『源氏物語』:慎む、という緊張感のもとで気がのぼったか、と言っている)。
「『………』ト、顔を真赤(まつか)にして大(おほ)きに逆上(のぼ)つた様子(やうす)」(「滑稽本」『浮世風呂』)。
「のぼり詰 下略してのぼる共いふ。人のことわりをも聞いれず、我思ふ儘にいひのぼるをいふ」(『色道大鏡』)。
◎「のぼせ(上せ)」(動詞)
「のぼり(上り)」の使役型他動表現。「のり(乗り)」(自)・「のせ(乗せ)」(他)のような変化。上(のぼ)る状態にすること。空間的な意味だけではなく、社会的な意味や価値にかんしても言い→「都へのぼせ」(都へ行かせる)、人の気分を昂進させることも言う。また、人が心情的にそうなった場合自動表現になる→「のぼせあがる」。
「…真木のつまでを 百足らず 筏(いかだ)に作り 泝(のぼ)すらむ…」(万50:上流へのぼらせた)。
「「…と知らせ奉らばや」とて、侍一人したてて、都へのぼせられけり。三つの文をぞ書かれける」(『平家物語』:都へのぼらせた)。
「のぼする ………のぼするといふは、わきより其者をせかせてのぼり詰にさするやうの手だてなり」(『色道大鏡』:人を心情的にのぼらせる)。
「金銀収受ノ数及ビ経費ノ数ヲ簿ニ上セケリ」(『西国立志編』:「上セ」の読みは「のぼせ」であろう。帳簿に記載すること。左側に意味として「ツケ」と書かれている)。
「『…逆上(のぼせ)ないで至極よいお薬でございます』」(『浮世風呂』:自動表現)。
「『そういはれると己(おれ)ばつかり惚込(のぼせ)てゐるやうだが…』」(『春色辰巳園』:これも自動表現)。