◎「のべ(伸べ・延べ・述べ)」(動詞)

「のび(伸び)」の他動表現。「のび(伸び)」(その項・7月2日)は、その変動として異動のない変動が思われる動態になること、そのままの、持続の、動態情況になること、であるが、その他動表現「のべ」は、ものやことをそうすること。「鉄をのべ」は鉄に「のび(伸び)」を生じさせる。「日のべ(日延べ)」(予定日にのびを生じさせる。予定延期)。「息をのべ」は異動のない息になり、平穏に安堵すること。「心をのべ」は心がそのままである時を過ごすこと。「思いをのべ」はその思いたる変動そのままたる変動を現すこと。その「のべ」は人から人への伝動としても現れ、その思いの「のべ」は言語活動として現れる。ある思想内容をのべ、も言語で行う。思想や思いの社会的展開(伸び)ということですが、そこには「のり(告り)」の「の」の影響もあるだろう。すなわち声に出して明瞭に言うこと。

「一谷とかやにて一門の人々半ば過ぎ討たれ、宗徒の侍共数を尽くいて滅びにしかば、各直衣束帯を引き替へて(直衣や束帯を脱ぎそれに替え)鉄を延べて身に纏ひ…」(『平家物語』)。

「身の病重きにより、朝廷にも仕うまつらず、位をも返したてまつりてはべるに、「私ざまには(実は私的には)腰のべてなむ」と、ものの聞こえひがひがしかるべきを…」(『源氏物語』:「腰のべ」は、のんびりゆったりと過ごす、のような意)。

「昨夜のこと(葬儀の件)は、などか、ここに消息して、日を延べてもさることはするものを」(『源氏物語』:延期)。

「春の野に意(こころ)のべむと(意将述跡)思ふどち来し今日の日は暮れずもあらぬか」(万1882:この「のべ」は「述」と書かれ、この字は、言ったり書いたりという意味が強い)。

「「憂き世にはあらぬ所を求めても君が盛りを見るよしもがな」と、なほなほしきことどもを言ひ交はしてなむ(良い歌をつくろうなどという作り心などない、ただ思っていることを言っているだけのことを言い交わして)、心のべける」(『源氏物語』)。

「大師是を受て、三密瑜伽の道場を構へ、一代説教の法席を展給(のべたまひ)けり」(『太平記』:「法席を展(のべ)」とは、法を説く場を空間としてあらはしひろげた。「瑜伽(ユガ)」は、自我と絶対者(つまり仏陀)が合一すること。のちに健康や美容目的で行われる「ヨガ」という語の起源もこれ)。

「花の木ならぬは…………ゆづり葉の………よはひを延ぶる歯固(はがた)めの具にももてつかひためるは…」(『枕草子』:寿命をのばす)。

「聊モノヘ申事モナクテ無術候テトハカリ申キ(聊(いささか)ものべ申すこともなくて、術(ジュツ)無く候て、とばかり申しき)」(『教訓抄』)。

「廼者(このごろ)、我(わ)が民(おほみたから)の貧(まづ)しく絶(とも)しきこと、專(たくめ)墓(はか)を營(つく)るに由(よ)れり。爰(ここ)に其(そ)の制(のり)を陳(の)べて、尊(たか)さ卑(ひき)さ別(わき)あらしむ」(『日本書紀』:「專(たくめ)」は「もっぱら」のような意)。

「信 ノブ」「申 ノブ」「筆 ノブ」(『類聚名義抄』)。

 

◎「のぶとし(野太し)」(形ク)

「のびふとし(伸び太し)」。ある人の居方、その物腰や振る舞い、言動から受ける印象がこちらへと伸び、そしてそれが太い。それは弱くも細くもなく、こちらへと配慮した遠慮もなく、積極的にこちらへ伸び、そして太い。それが「のびふとし(伸び太し)→のぶとし」。

「今も先(まづ)身にあひたいといふべい所、竹をよびだしてくれとはのぶとい者だ」(「浄瑠璃」『夕霧阿波鳴渡』) 。