◎「のど(喉)」

「のむと(呑む門)」。「のむ(呑む)」(→「のみ(飲み・呑み)」の項)という動態を可能にする(実行する)狭窄感を感じる部分(「と(門・戸)」(その項))、の意。人の首前方あたりを言う。「のみど」「のむど・のんど」とも言う。

「御のどのかはかせ給て、水ほしがらせ給に」(『宇治拾遺物語』)。

「咽喉 …………和名乃無止」(『和名類聚鈔』)。

「咽 …ノムド」(『類聚名義抄』)。

「咽咀 ………咽倭云能美等」(『新訳華厳経音義私記』)。

「あちこちとありきて喉(のど)のかはきたるに、そのさし給へる刀にて酒買(かへ)かし。われものみ、そこにものんどうるへ給へ、といへば」(『古今著聞集』)。

 

◎「のど(和)」

「ののと(「~の」の「~と」)」。「の」「と」はどちらも助詞であり、「「~の」の「~と」」とは、たとえば、「Aの(Aの現状)」の「Aと(Aの思念的あり方、Aとあり、ということであり、Aとあるあり方)」。つまり、「ののと(「~の」の「~と」)→のど」とは、「Aの」の「Aと」、ということであり、現状たるAの思念的あり方、ということです。その場合、Aの思念的あり方には二種ある。一は、Aの一般的・普通のあり方。現状たる個別的具体的なあり方ではなく、一般的なあり方。一は、Aの、こうだったら…、こうありたい…、と思う、思いに適うあり方。

「鯨魚(いさな)取り 海路(うみぢ)に出でて 吹く風も 毋穂(もほ)には吹かず 立つ波も のど(箟跡)には立たず…」(万3339:「毋穂(もほ)には吹かず」は、面(おも)帆(ほ)には吹かず、であり、順直な吹き方をしない、ということか。一般的な、普通の吹き方では風は吹かず、波も立たない)。

「明日香川(あすかがは)しがらみ渡し塞(せ)かませば流るる水ものど(能杼)にかあらまし」(万197:流れる水も、こうだったら…、と思う状態なのではないか?)。

この語により「のどか」、「のどけし」(形ク→「けし」の項)、「のどやか」、動詞「のどめ」(のどかな状態にする)、「のどまり」(「のどめ」の自動表現)などがある。これらの「のど」は、時空個別的な特別感のない、こうだったら…とおもうようなあり方であり、それが天候なら、特別に寒くもなく暑くもなく(つまり過ごしやすく)、それに応じて日差しも穏やかで、特別に風が吹いたり雨が降ったりもしていない。それが人柄なら、接すればそんな天候を経験しているような人柄であり、社会状況や自分が今ある情況もそのようなものであり、出来事に対する人の対応のあり方に関してもそうである。

「『…』とてひきあけたれば、蛇、首をもたげたり。人々、心をまどはしてののしるに、君はいとのどかにて…」(『是中納言物語』「虫めづる姫君」:君はなにごとも無いかのように平穏だった)。