◎「のぞみ(望み・臨み)」(動詞)
「のしよみ(伸し世見)」の独律(四段活用)動詞化。「のし(伸し)」は、伸(のば)し、のような意(→「のし(伸し)」の項)。動態や視線や思いを伸ばす。そして世(よ:世界、環境たる現場)を見(み)る(視認する、経験する)。それが「のしよみ(伸し世見)→のぞみ」。
たとえば、
「朕(われ)高臺(たかどの)に登(のぼ)りて遠(はるか)に望(みのぞ)むに、烟氣(けぶり)域(くに)の中(うち)に起(た)たず」(『日本書紀』:「望(みのぞ)む」は、見(み)望(のぞ)む)、や、「城山へのぼり町をのぞむ(一望する)」の場合、視線や思いが伸び、全体を見渡す。
あるいは、
「謹(つつし)みて三月(みつき)を待(ま)ちて、勅(みことのり)の旨(むね)を聞(き)かむと佇(のぞ)めども、尚(なほ)し宣(の)り肯(か)へず」(『日本書紀』:「佇(チョ)」は『説文』に「久立也」とされる字。なにかを待ち望み長く立っているわけです)、や、「この内記は、望むことありて(そうなりたい望みの官職があり)、夜昼、いかで御心に入らむと思ふころ…」(『源氏物語』)の場合、願望により想的に思いはのび、その世界を見る(自己は想的にその願望の世界にある)。
あるいは、
「一道(いちだう)に携(たづさ)はる人、あらぬ道のむしろ(筵)にのぞみて(専門外の人たちの宴席に出て)…」(『徒然草』)、や、「開会式にのぞむ」の場合、「~にのぞむ」の「に」が動態の状態を表現し、たとえば、開会式の状態で動態を伸ばし、現場たる環境を見る。これは、出席する、と同じような意味になる。こうした用い方の「のぞみ」は「臨み」と書かれることが多い。
「…且當(まさ)に山林(やまはやし)を披(ひら)き拂(はら)ひ、宮室(おほみや)を經營(をさめつく)りて、而恭(つつし)みて寶位(たかみくら)に臨(のぞ)みて、元元(おほみたから)を鎭(しづ)むべし」(『日本書紀』)などは寶位(たかみくら)につくわけですが、これは世をおさめることを意味する。
◎「のぞこり(除こり)」(動詞)
「のぞきおこり(除き起こり)」。除かれた状態が発生すること。何かが除かれ、なくなること。
「纔(ひただ)彼(そ)の地(ところ)を觀(み)るに、病(やまひ)自(おの)づから蠲消(のぞこ)りぬ」(『日本書紀』:「纔(サイ)」は『廣韻·』に「僅也」とされる字。意は、わづかに。「ひただ」は、ひとはだ(一肌)、か。ほんの少し触れること)。