◎「のぞき(除き)」(動詞)

「なほしおき(直し措き)」。のーしおき、のような音(オン)を経、のそき、になった。ふるくは「のそき」と清音でも言った。「なほし」は、常態にすること(→「なほし(直し)」の項・2月8日)。「おき」は、離脱感を生じさせるそれ→(「おき(置き・措き)」の項:「彼をおいてほかにはない」)。この意味の「おき」は「措き」とも書かれる。常態にし離脱させる、とはどういうことかというと、ある事象の一部にその事象として常態ではない、あるべきではない、と思われる部分(A)がある場合、その部分を事象から離脱させ、事象を常態にし満足のいくものにする。それが「(Aを)なほしおき(直し措き)→(Aを)のぞき」。

「大御足跡(おほみあと)を見(み)に来(く)る人(ひと)の去(い)にし方(かた)千代(ちよ)の罪(つみ)さへ滅(ほろ)ぶとそいふのそくとぞ聞(き)く」(『仏足石歌』)。

「除 ノゾク…ケツ(消つ) サル」(『類聚名義抄』)。

「二条院御時、殿上のふだのぞかれて侍りけるころ…」(『隆信集』:資格を奪われた)。

「『…此の七年、世の中の無端(あぢきな)く思え候ままに、魚食ても口を漱て、念仏を申し候ふ。魚を食はぬ時、さら也。日に何らとも定め候はず。大便・小便仕り候ふ程、物食つる間、寝入などして候ふ程を除けば、申し付て候ふ事なれば、怠る事候はず』」(『今昔物語』)。

 

◎「のぞき(覗き)」(動詞)

「のしおき(伸し置き)」。「のし(伸し)」は、伸(の)ばし、のような意ですが(「のし(伸し)」の項・6月22日)、たとえば「この平張(ひらはり)は川にのぞきてしたりければ、つぶりとおち入りぬ」(『大和物語』:「平張(ひらはり)」は布の仮屋)、のような場合、この「平張(ひらはり)」は川に向かってのばされるように設置されている。「西面(寝殿の西側)には、(源氏は)わざとなく(自然に)、忍びやかにうち振る舞ひたまひて、(花散方を)のぞきたまへるも」(『源氏物語』)は、自分の存在をのばし、のばした先に置く。おいた先には人がいることもあり、置かれた人はその存在にふと気づいたりもする。置いた人も置かれた人に気づいており、直視視線は送らなかったとしても、その視野にそれを見ていたりもする。「川近き所にて、水をのぞきたまひて、いみじう泣きたまひき」(『源氏物語』)は、あてのない川底へ自分の存在をのばし、のばした先に置きさまようような状態になり泣く。「林(リン:僧名)、佇(ノソキテ)看れば、草の中に大快(いとたくま)しく肥えたる女あり  (真福寺本訓釈)佇 乃曾支天」(『日本霊異記』)は、直視するわけではなく、自己の存在をのばすという動態間接的な見方で見た。