◎「のし(伸し・熨斗)」

「なほし(直し)」。「なほ(直・尚)」は、効(き)きを得ている状態で、ということですが(→「なほ(直・尚)」の項)、この「なほし」は、効きがなくなったり不全になったりした状態をそれがある状態にする、「なほり(直り)」の他動表現たる、「なほし」ではない。また、この「なほ」は、効きの効きたるそれが、純粋さが現れている、たとえば「すなほ(素直)」の「なほ」、でもない。この「なほ」は、ある動態や情況進行があり、そうであることを否定するなにごとかがあり、「それでもなほ」という用い方の「なほ」。この「なほし(直し)→のし」は、そうした「なほ」の動詞化。そうした「なほ」が動詞化した場合、なにごとかやなにものかが抵抗をおしきり継続したり伸びたりし、意味は「のばし(伸ばし)」に似る。意外性をもつてAへ行くことが「Aへのす」と言われたりする。また、作用や力を加え立体的ななにものか(たとえば着物)を平面状にのばす(皺(しわ)をなくす)ことを「のす」と言ったりする。「ひのし(火熨斗)」は、柄のついた器状のものに焼けた炭を入れ、これで熱と圧力により布の皺(しわ)をなくすことやその道具(後世で言う、アイロン)。この、道具たる「ひのし(火熨斗)」は古墳からも出土する。

この動詞は基本的には他動表現ですが、自己をのせば自動表現の状態になる→「のし歩く」。

祝の贈り物に添える「のし(熨斗)」は、扁形六角形に折った紙などに、これに半ば包まれるように熨斗鰒(のしあはび)が入る(他のもので代用されることもある)。なぜ熨斗鰒(のしあはび)なのかといえば、「のし」は「のばす」という意味であり、現実に長い紐状になったそれを添えて祝い、「末永(すえなが)く」という縁起物ということでしょう(熨斗(のし)に用いられる熨斗鰒(のしあはび)は江戸時代のものはそうとうに長い)。

「Noxi(ノシ),ſu(ス), ………………¶ Xeuo(セヲ) noſu(ノス). …………¶ Coxiuo(コシヲ) noſu(ノス). ………¶ Xiuauo(シワヲ) noſu(ノス)」(『日葡辞書』)。

「熨斗 ………斗所以熨衣裳也 和名乃之」(『和名類聚鈔』)。

「びん『マァいゝはな。一ぷく呑んで往(き)ねへ』 銅『今日(こんにち)はまだ山の手へのさねへきやァなりません…』」(「滑稽本」『浮世床』)。

「上にのしかかる」。

 

◎「のす」

「にをしゆ(にを為ゆ)」。「に」「を」「ゆ」はすべて助詞。「し(為)」は動詞。問題は「ゆ」であるが、これは経験経過を表現し、ここでは、動態が経験経過する、とでもいう状態を表現し、たとえば、動態A(動詞連体形)にを為(し)ゆ動態B(動詞)、AのすB、という表現が、Aする状態でBする、という表現になる。「白玉を手に取り持(も)して見るのす(乃須)も家なる妹(いも)をまた見てももや」(万4415:「もし(持し)」は「もち(持ち)」の古代東国方言)。これは、見るにを為(し)ゆも……また見、見るに見、ということであり、白玉を手に取り持って見るに妹(いも)を見る、白玉を手に取り持って見る状態で妹(いも)を見る、ということです。Aが名詞Bが形容詞の場合もある。「…小楢(こなら)のす(能須)まぐはし子ろは誰(た)が笥(け)か持たむ」(万3424:「まぐはし」は見て心惹かれ感銘を受けること。小楢(こなら)の状態でまぐはし、とは、そういう美しさがあるということでしょう)。

この語は、一般に、「なす」の上代東国方言、と言われている。

似た印象の表現に「なす」がある。

「利根川の川瀬も知らずただ渡り波にあふのす(能須)逢へる君かも」(万3413:あなたのような人に波に襲われるように突然出会った、ということ。つまり、一目惚れ)。