◎「のき(退き)」(動詞)

「おのおき(己措き)」。語頭の「お」は消音化した。自分で自分を「おく(措く)」こと。自分自身を何かに対し独立的存在化させること。何かから遊離させること。そこ(それ)を離れその影響から離れようとする。「おき(置き・措き)」は何かとの関係に目標感(客観感)・遊離感が生じた状態になること→「おき(置き・措き)」の項。何かとの関係において、自分からそうした状態になる。「引き」や「退(しりぞ)き」などに似た意味になる。ほとんどは自動表現ですが、他動表現もある(「おき(置き・措き)」は自動表現も他動表現もありうる→その項)。他動表現の場合は、一般的な、「のけ(退け)」の意になる。「あふのき(仰き)」(その項)という表現もある。

「のき(退き)候へと申候へとも、のかす(退かず)候間、ひきたて候時…」(『上久世庄名主百姓等申状』(東寺百合文書 を六三:大日本古文書六・六三))。

「『この国は天竺と唐の間、おのおの玄(はる)かにのきたる国なり…』」(『打聞集』「鳩摩羅仏盗事」:おのおのからはるかに離れている)。

「一條院位に即(つ)かせ給ひにしかば、よそ人にて(外戚関係にないので頼忠は)關白はのかせ給ひにき」(『大鏡』:地位を退いた)。

「「…(浮舟は)この宮(匂宮)の御具(ぐ)にては(この宮との揃(そろ)いとして)、いとよきあはひなり」と(薫は)思ひも譲りつべく、のく心地したまへど…」(『源氏物語』:身をひくことも思ったが…)。

・(他動表現)

「いとのきて(伊等乃伎提) 短き物を 端(はし)切ると いへるがごとく しもと取る 里長(さとをさ)が声は」(万892:「いとのきて」は、非常に評価の離れた別格なものとして、ということですが、「短き物」を主体として表現すれば自動表現、それを評価する歌の作者を主体として表現すれば他動表現。「しもと」は木の細枝であり鞭でもある)。

「いかなるや 人にいませか 岩(いは)のうへを 土(つち)とふみなし あと(足跡)のける(乃祁留)らむ」(『仏足石歌』:「のける」は動詞「のき」に完了の助動詞「り」がついている。「のき(退き)」の活用語尾がなぜE音化するかは「り(助動)」の項参照。遊離化させ存在化させる→のこす、のような意味になる。「~らむ」もその項)。

 

◎「のき(仰き)」(動詞)

「のき(退き)」の客観性の無い表現。「のき(退き)」が客観的表現であるのに対し、「のき(仰き)」はその客観性のない主動的表現。上体だけ前方から来る力を受け退(しりぞ)くように体が後ろへ反るような動態になること。自動的に、上を向くような状態になる。自動表現。

「縛て五雨空を偃(ノケ)」(『金剛頂経蓮華部心念誦次第』)。

「六十四 烏帽子着てまりけるときの事……………ゑぼしはのきすぎぬやうに。ふかくきなすべし」(『蹴鞠百五十箇条』)。