「「ぬ」「え」り」。「「ぬ」「え」り→ねり」とはどういうことかというと、「ぬり(塗り)」と「えり(択り)」が同時に起こり融合した動態になるということ。「ぬり(塗り)」はなにかを均質動態にすることであり(→「ぬり(塗り)」「ぬれ(濡れ)」の項・5月15日)、「えり(択り)」は複数の対象の中からどれかを選択し一つを決定することですが、この動態が融合するということ、なにかを均質動態にしながらその行為はその何かを構成する部分の中からなにかを選択し全体を均質にしていく。それにより全体が望む質になったり、良質化したりする。ものにかんし(たとえば「餡(アン)をねる」)ではなく、ことにかんしても言われる(「案(アン)をねる」「計画をねる」)。ものにかんしては金属にかんしても言われ、金属の鍛冶を「ねる」ということもある。絹糸にかんし、灰汁(あく)で煮るなどし全体を柔らかな光沢のある絹にしたものが「ねりぎぬ(練絹)」。行為が「ねり」の状態でおこなわれることもあり、これは、事実上、歩くことにかんし言われ、「あるき(歩き)」という動詞が添えられ「ねりあるき(練り歩き)」とも言われる。
「教へのごとくにこの薬をねりつつ、みづからこれを服せしかば」(「御伽草子」『不老不死』)。
「丹後より上りて、練りたる糸、宮に参らすとて」(『和泉式部集』)。
「かのをかに はきかるをのこ なはをなみ ねるやねりその くたけてそおもふ(かの丘に 萩(はぎ)刈る男(をのこ)、(その萩をまとめる)縄を無み(縄がなく) 練(ね)るや練麻(ねりそ)の (そんな風に思い乱れ)砕けてそ思ふ)」(『拾遺和歌集』:あなたの思いをどうまとめて抱(いだ)けばよいのだ…ということか)。
「五尺余降積(つもつ)たる雪の上に橇(かんじき)も不懸(かけず)して走(わしり)出たれば、胸の辺迄(まで)落入て、足を抜んとすれ共不叶(かなはず)。只泥に粘(ねられ)たる魚の如にて…」(『太平記』)。
「言(こと)とはぬ 木すらあじさゐ 諸弟等之 練りのむらと(村戸)に あざむかえけり」(万773:「むらと(村戸)」は、斑(むら)のある、一貫した安定性のない、「と(程)」(程度、強さ)、ということであり、一貫性のないいい加減さ。「諸弟等之」は、一般に「もろとらの」と読まれますが、「もろてとの」であり、もろておとの(諸手音の)、であり、「もろておと(諸手音)」は、拍手。意味は、拍手で、迎えられそうな、ということ。「弟」を「て」と読むことは、『万葉集』にはほかに例はないかもしれませんが、不自然ではないでしょう)。「百千(ももち)たび 恋ふと言ふとも 諸弟等之 練りのことばは 我れは頼まじ」(万774:この歌の原文、「ことば」は「言羽」と書かれている。あなたの言葉は羽のように軽いぞ、ということ)。
「練 ネル」「錬 ネリキヌ」「錬 ネリカネ」(『色葉字類抄』)。
「遅歩 ネル」(『雑字類書』)。
「しろかねの めぬきのたちを さけはきて(下げ佩きて) ならのみやこを ねるはたかこそ(誰が子ぞ)」(『拾遺和歌集』:この歌は「神楽歌」の『採物 剣』にある)。
◎「ねんごろ(懇)」は「ねもころ(懇)」の項(6月8日)。