◎「ねやし(練し)」(動詞)

「ねゆあはし(根ゆ和はし)」。「ゆ」は経験経過を表現する助詞(その項)。「あはし(和はし)」は「あへ(和へ)」の使役型他動表現。和(あ)へることをさせる→一体化させる。「ねゆあはし(根ゆ和はし)→ねやし」は、根から、根底的に、全体を質的一体化、均質化すること。

「挻 ………土乎祢也須」(『新撰字鏡』:「挻(セン)」は中国の書に「柔也,繫也,和也,取也,長也」と書かれるような字(「挺(テイ)」は別字))。

「鍛、錬、餬、挻」(『類聚名義抄』:これらの字その他に「ネヤス」の読みがある。「餬(コ)」は多めの水で米を煮、粥や糊(のり)の状態にすることでしょう)。

「譬 如眞金鎔(きた)ひ銷(け)し冶(う)ち錬(ねや)す」(『金光明最勝王経』:金属をねやす)。

「ぬりにしかべの土をねやせり てんかく(田楽)の味噌ぞながるるいろりはた」(「俳諧」『鷹筑波』)。

 

◎「ねらひ(狙ひ)」(動詞)

「「ね」ええりあらひ(「ね」餌択り洗ひ)」。「ね」は「ねぎ(祈ぎ)」や「ねがひ(願ひ)」という語になっているそれ(5月23日)。これが、現実となったらよいと想うなにものかやなにごとかを表現する。想的に願望を表現する。「え(餌)」は食べ物であり、「「ね」え(「ね」餌)」は、こんなものがあったらいいのに…、こんなものが欲しい…と思う食べ物。食べ物といっても、完成した料理、というようなものではなく、材料たる動物や植物です。その「え(餌)」を「えり(択)り」、どれにするか選択し選び、「あらふ(洗ふ)」とは、それを調理し、食べる準備に入ることです。こんなものがあったら…と想的に思う「え(餌)」を選び、それを食べる準備に入る、とは、選択された、こんなものが…と想うなにかを追跡し、手に入れる、とらえる、努力に入ることです。その努力が「「ね」ええりあらひ(「ね」餌択り洗ひ)→ねらひ」。ものだけではなく、ことにかんしても言う。

「この岡に小牡鹿(をじか)履(ふ)み起(おこ)しうかねらひ(埿良比)かもかもすらく君故にこそ」(万1576:「うかねらひ」は油断している状態を狙うこと)。

「山辺には猟男(さつを)のねらひ(祢良比)畏(かしこ)けど小牡鹿(をじか)鳴くなり妻が目を欲(ほ)り」(万2149)。

「大ちご小ちご、富士の山に雪の有を御覽じ大ちごの申さるゝは、「いかに小ちご、これほどなる飯は、なるまいか」と申されければ、小ちご聞て、「何とあらふぞ。とろゝじるならば、ねらふて見う」と申された」(『昨日は今日の物語』:これは、探して手に入れる努力をしよう→食いたい、ということ)。