◎「ねぶり(眠り)」(動詞)

「ねむふり(寝む振り)」。「む」は意思・推量。この「ねむ(寝む)」は、睡眠に入ったであろう状態になること(身を横たえたであろうこと、ではない)。睡眠に入っているかどうかは外観からはわからない。自分でも「私は今睡眠状態に入っている」という自覚はない。「ふり(振り)」は、原意としては、発生感を表現しますが(→「ふり(生り・振り・遊離り)」の項)、この場合は、事象を、身体状態たる事象を、発生させる。つまり、「ねむふり(寝む振り)→ねぶり」は、睡眠状態にあるであろう状態を発生させること。これは、多くは睡眠状態にあること・なること、を意味しますが、睡眠状態にあるかのように目を閉じていることも意味する(この場合は「目をねぶり」「目をねむり」という言い方もする)。「ねむり」とも言い、後世ではそれが通常になっていく。

「(八岐大蛇(やまたのをろち)は)酒(さけ)を得(う)るに及至(いた)りて、頭(かしら)を各(おのおの)一(ひとつ)の槽(さかぶね)におとしいれて飲(の)む。醉(ゑ)ひて睡(ねぶ)る」(『日本書紀』)。

「眲 ……眠也目合也 祢夫留又伊奴」(『新撰字鏡』)。

「唯今いはでもありぬべき事かなと思へば、いらへもせであるにねぶるかと思ひし人(兼家)、いとよく聞きつけて」(『蜻蛉日記』)。

「竹取の翁、さばかりかたらひつるが(蓬莱の木だと、いかにも真実らしく皇子は言っていたが(真実を知り))、さすがに覺(おぼえ)てねぶりをり」(『竹取物語』:目を閉じてしまっていた)。

「目をねふり 『南無大慈大悲観世音ほさつ』トいひなから思ひ入あつて目をあく」(「歌舞伎」『隅田川花御所染』)。

「『イヤおのれが明盲(あきめくら)だはい』『イヤおれは睡(ねぶ)つて居る盲(めくら)だ』」(「滑稽本」『浮世風呂』:目を閉じている)。

「inuua(イヌハ) nemuriuo(ネムリヲ) ſamaite(サマイテ) tachimachi(タチマチ) qitçuneni(キツネニ) tobicacatte(トビカカツテ)」(『天草本伊曾保物語』:これは「ねむり」)。

 

◎「ねぶり(舐り)」(動詞)

「「ね」ぶり(「ね」振り)」。「ね」は、人が「ね」と言うときの口の、口内の、動態にあることを表現する。「ぶり」は、仕事ぶり(仕事をしているその様子)、や、偉(えら)ぶる、などにある、なにかの様子、客観的印象、をあらわすこと。すなわち、「「ね」ぶり(「ね」振り)」は、「ね」の様子をあらわす、「ね」と言っているような様子をあらわす、さらに言えば、「ね、ね、ね、ね…」と言っているような様子になる、ということなのですが、どういうことかというと、たとえば人が、口内に飴を入れ、これを味わっていると、人は、とりわけ、人の口は、そのような印象になる、ということ。そして「ねぶり」が、そうした動態、口内で、舌でなにかを撫でまわしこれを味わうような状態になっていたり、客観的に存在するなにかにそうしていたりすることを表現する。

「飢ゑたる虎、王子の頸(くび)の下より血の流るるを見て、血をねぶりつつ、肉(しし)を喰(は)み骨を残せり」(『三宝絵詞』「薩埵王子」)。

「舚 ………祢夫留」(『新撰字鏡』)。

「舐 ネブル」『類聚名義抄』)。