◎「ねたまし(妬まし)」(形シク)
「ねたみああし(妬みああし)」。「ああ」は感嘆(心情発露発声)。妬(ねた)む心情にあることの表明。「ねたみ(妬み)」はその項。
「同じ僧正(鳥羽僧正)のもとに、絵描く侍法師ありけり。あまりに好き習ひければ、後ざまには僧正の筆をも恥ぢざりけり(自分の絵は僧正のそれに匹敵する、あるいは、それにまさる、という態度になった)。このことを、僧正ねたましくや思はれけん、「いかにもして失(しつ)を見出ださん」と思ひ給ふところに…」(『著聞集』:この「ねたみ」の「ねた」(5月27日)は自己を侮る「侍法師」の存在しない境遇。それによる「ねたみ」はそれが存在することによる不安定な、複雑動態情況)。
「親の子を(親が子を)ほめるはいやらしけれど 此様な娘を大ていの男にそはせるは妬(ねた)ましい」(「歌舞伎」『鑓の権三重帷子』)。
◎「ねたみ(妬み)」(動詞)
「ねたやみ(妬病み)」。「ねた(妬)」はその項(5月27日)。「やみ(病み)」は、安定感の失われた、不安定な、複雑動態情況、絡み合い混乱し、自分でもほぐし当たり前の健全な動態情況、とりわけ自己の身体たる生体情況、になすことができない情況、になること。「ねたやみ(妬病み)→ねたみ」は「ねた(妬)」による病(や)みであり、「ねた(妬)」によりそうなること。
「故(かれ:姉の田は豊穣であり自分の田は荒廃しているので)、素戔嗚尊(すさのをのみこと)、妬(ねた)みて姉(なねのみこと:天照大神)の田(みた)を害(やぶ)る」(『日本書紀』:この「ねた」は自分の田が豊穣の田である境遇)。
「『右近が姉の、常陸にて、人二人見はべりしを(二人の男に添ったが)、………これもかれも劣らぬ心ざしにて、思ひ惑ひてはべりしほどに、女は、今の方にいますこし心寄せまさりてぞはべりける。それに妬みて、つひに(前の男は)今のをば殺してしぞかし…』」(『源氏物語』:この「ねた」は女が自分だけに添う境遇)。
「兄磯城(えしき)忿(いか)りて曰(いは)く、「天壓神(あめおすのかみ)至(いま)しつと聞(き)きて、吾(あ)が慨憤(ねた)みつつある時(とき)に、奈何(いかに)ぞ烏鳥(からす:八咫烏(やたがらす))の若此(かく)惡(あ)しく鳴(な)く」といひて 壓此云飫蒭 …」(『日本書紀』:この「ねた」は自分に脅威を与える神のない境遇)。
「翁、胸いたきことなし給ひそ。うるはしき姿したる使にもさはらじ、とねたみをり」(『竹取物語』:「胸いたきことなし給ひそ」は、(月へ)帰らないでおくれ、ということでしょう。月からの使いにもなにもしないから、ということ。この「ねた」はかぐや姫がずっと自分のそばにいてくれる境遇。それによる深刻な「やみ(病み)」が起こった。かぐや姫が月の世界へ帰ってしまい、それを阻止できない)。