「にゆひにおひ(荷結ひに負ひ)」。「ひ」は退行化した。「にの」とも言う。「ゆひ(結ひ)」は複数・複種を一体的総通状態にすること。「に」は動態の状態を表現する。「にゆひにおひ(荷結ひに負ひ)→ぬの」、すなわち、荷(に)を一体的総通状態で負(お)ふ、とはどういうことかというと、いくつもの、幾種類もの、荷(に)を一つの状態にして負う(持つ)、ということであり、後世で言えば、「フロしき(風呂敷)」もそうした役割をはたしたが、「バッグ」です。さまざまな物を入れて持ち運ぶ「バッグ」。この「ぬの」は長い繊維を織った面状のものを意味しますが、これに包むように様々な道具や採取物などを入れ、持ち運んだということです。やがてこれの相当な面面積をもったものも作られ、切り、縫い、衣服も作られる。素材は、古くは麻(あさ)が主ですが、絹も用いられ、やがては木綿が主になり、やがては人工的に合成された繊維も生まれる。

「(子供に)荒栲(あらたへ)の布衣(ぬのきぬ)をだに着せかてに(着せてやれずに)かくや嘆(なげ)かむ為(せ)むすべをなみ」(万901:「かてに」はその項。この「きぬ」は、絹(きぬ)ではなく、衣服の意(その項)。「ぬのきぬ(布衣)」という語が粗末な服を意味している)。

「棚機(たなばた)の五百機(いほはた)立てて織る布(ぬの)の秋さり衣(ごろも)誰(たれ)か取り見む」(万2034)。

「其(そ)の王子(みこ)は、布(ぬの)の衣褌(きぬはかま)を服(け)して、既(すで)に賤(いや)しき人(ひと)の形(すがた)に爲(な)りて…」(『古事記』)。

「布 和名沼能 織麻及紵為帛也」(『和名類聚鈔』:「紵(チョ)」は麻(あさ)の一種)。

「筑波嶺に雪かも降らるいなをかも(信じられないかもしれないが)愛(かな)しき子ろが布(にの:尓努)乾さるかも」(万3351:「いなをかも」はその項)。

「庭に立つ麻手(あさで)刈り干し布(ぬの)曝(さら)す東女(あづまをみな)を忘れたまふな」(万521:三句は「慕(した)ふ」だとする説もありますが、一般にはこのように読まれ、「庭に立って、麻を手で刈り取ったり、干したり、布にしてさらす、この東国女を忘れめさるな」(ネットより)といった歌意が言われる。これの読みですが、三句は「布暴」であり、読みは「布(し)き暴(さら)す」でしょう。読みは「庭(には)に立(た)ち麻手(あさで)刈(か)り干(ほ)し布(し)き暴(さら)す東女(あづまをみな)を忘れたまふな」。歌意のポイントは二句の「あさで(麻手)」であり、「あさで」とはなんだ?ということ。これはようするに、「あさ」の方向のもの、ということであり、麻(あさ)と朝(あさ)がかかっていますよ、ということ。一句の「庭立」は、庭(には)に立(た)ち。庭に立ち、麻(あさ)を、朝(あさ)を、刈り、干し、世界に敷(し)き、日にさらし乾かす、毎日そんな努力をしている。なぜかと言えば、夜、毎夜、あなたを思い涙にぬれてしまっているから…。そんな東女がいることを忘れないでください。そういう歌意の歌)。