◎「ぬた」

「にゆた(土ゆ田)」。「に」は土の意(「に(土)」の項・3月19日)。「ゆ」は経験経過を表現する助詞であり、素材や材料も表現しうる。ここでは素材。「にゆた(土ゆ田)→ぬた」、土より田、とはどういう意味かというと、田(た)は地に平面状の凹部をつくりそこに水がたまるわけですが、その水部分が、水ではなく、土(つち、どろ)であるのが「ぬた」。それは水のように流体化したドロであり、いうなれば、そこだけが水田の底部分がそのまま地上化しているような状態。それが「ぬた」。そんな印象の沼地も言う。また、やることや人間性にしっかりと形をなす成形性がなく、なしてもすぐに崩れるようなものごとや人間性を「ぬた」といったりもする。漢字表記は主に「沼田」と書く。「垈」という表記もありますが、この字は「代」で「なはしろ(苗代)」の「しろ」を表現した造字ということか(「ぬたうち」はその「なはしろた(苗代田)」を耕しているわけです→「ぬたうち」)。この字は山梨の地名で多く使われ「ぬた」と読む。

「きみこふと ゐのかるも(猪の刈る藻)より ねさめして あみけるぬたに(浴みけるぬたに) やつれてそふる」(『夫木(フボク)和歌抄』:「かるも」は、(海人(あま)の)刈(か)る藻(も)、に由来する、寝床の草・寝床・枯草、そして猪の寝床・寝床の草(「恋ひわびぬ海人(あま)のかるもに宿るてふ…」(『伊勢物語』))。

「ぬたは泥の事を云ふぞ」(『玉塵抄』)。

 

◎「ぬたうち」(動詞)

「ぬた」はその項。「うち(打ち)」は、田や畑の土を耕し返すことを「うつ(打つ)」(原意は、現すこと)と表現しますが、それ。つまり、「ぬたうち」は、「ぬた」を耕(たがや)し返している、ということなのですが、これは人がやっているわけではなく、猪(ゐのしし)がやっている。山や水田近くの泥地などに、猪の背が納まるような窪地があることがあり、これは、猪が地に体(とくに背)を押し付け身をよじりくねらせたことにより掘られたようになったものであり、それにより猪の体は泥を塗ったような状態になる。この習性は身体につくノミやシラミやダニなどの排除や予防のためかとも言われる。この、泥地を身で掘り返しているような動作が、上記のような意味で、「ぬたうち(ぬた打ち)」と表現された。同意といってよい語に「のたうち」がある。

「恋をしてふす猪の床はまどろまでぬたうちさますよはのねざめよ」(『久安百首』)。