・(名詞にほひ) 
「山たかみ つねに嵐の 吹くさとは にほひもあへす(にほひも完全に維持されず) 花そちりける」(『古今和歌集』)。
「女房の装束の色……………山吹のにほひ 上濃くて下へ黄なるまでににほひて 青き単衣」(『満佐須計装束抄』:この「にほひ」は色彩)。
「木の花は……梨の花……せめて見れば、花びらの端に、をかしきにほひこそ、心もとなうつきためれ」(『枕草子』)。
「げに、かく取り分きて召し出づるもかひありて、遠くより薫(かを)れる匂(にほ)ひよりはじめ、(薫は)人に異なるさましたまへり」(『源氏物語』:これは人のにほひ(嗅覚刺激ではない))。
「うちとけて文はしり(走り)書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見えはべるめり」(『紫式部日記』:言葉のにほひ。これは紫式部が和泉式部にかんし言っている)。
「こちふかは(東風吹かば) にほひおこせよ 梅の花 あるし(主)なしとて 春をわするな」(『拾遺和歌集』:この歌、一般に、「おこせ」は、よこし、や、送り、のような意の下二段活用動詞「遣(おこ)せ」と考えられているわけですが、これは「起(お)こし」の命令でしょう。「よ」は言いきかせるような呼びかけ。主(あるじ)なく、ひとりになったとしても、世に、日(ひ)となってこれを覆うような存在をしめせ、ということ。私はここを去るが、春になったら良い香りを私のところへとどけてくれ、というような歌とは思われない。これは菅原道真(すがはらみちざね)の歌であり、この人は死後に日本の三大怨霊と言われるような人物なのです。しかもこれは「(大宰府へ)なかされ(流され)侍りける時、家のむめの花を見侍りて」という詞書のある歌)。
・(~ににほひ、という表現) 
「馬の歩み押(おさ)へとどめよ住吉の岸の黄土(はにふ)ににほひて(尓保比而)行かむ」(万1002:この「にほひ」は、原意としては、他動表現になる。自己を似日(にひ)に覆(お)ふ)。
・(にほへ) 
「住吉(すみのえ)の岸野の榛(はり)ににほふれど(丹穂所經迹)にほはぬ我れやにほひて居らむ」(万3801:この歌は下二段活用「にほへ」がもちいられる唯一の例(「にほふれ」は「にほへ」の已然形)といわれますが、「にほひ」がその外渉性によりE音化し使役型の他動表現になっているということで。たとえば「はひ(這ひ)」と「はへ(延へ)」のような関係。この歌の場合は自己をにほはせた)。
(Aをにほふ(Aの匂いを嗅ぐ)、という表現) 
「暖ふなりてもあけぬ北の窓 野坡  徳利匂ふて酢を買にゆく 芭蕉」(「俳諧」『続寒菊』(1780年):この「にほふ」は他動表現であり匂(にお)いを嗅ぐことでしょう)。