・(Aにほふ、という表現) 
「世尊の手足は……軟かに浄く光り沢(ニホヒ)て、色、蓮花のごとし」(『弥勒上生経賛』平安初期点:世尊の手足が「にほふ」。手足が美しく環境化する。この「にほふ」は嗅覚刺激を表現しているわけではない)。
「女君、顔はいと赤く匂ひて、こぼるばかりの御愛敬にて、涙もこぼれぬるを」(『源氏物語』)。
「傍有石柱……色紺にして光潤(ニホヘリ)」(『大唐西域記』)。
「はなさそふ なこりを雲に ふきとめて しはしはにほへ 春の山かせ」(『新古今和歌集』)。
「櫻花 けふこそかくも にほふとも あなたのみがた(あな、頼みがた(ああ、頼みがたい・あてにならない)) あすのよ(夜)のこと」(『伊勢物語』)。
「(夕霧は)二十にもまだわづかなるほどなれど、いとよくととのひ過ぐして、容貌も盛りに匂ひて、いみじくきよらなるを」(『源氏物語』:容貌がにほふ(似日覆ふ))。
「(源氏が)かくあまたかかづらひたまへる人びと多かるなかに、(自分の娘の紫の上は)取りわきたる(源氏の)御思ひすぐれて、世に心にくくめでたきことに、思ひかしづかれたまへる御宿世(前世・運命たる定め)をぞ、わが家まではにほひ来ねど、面目に思すに」(『源氏物語』:向こうに宿世の恵まれた人がいる。その人が太陽のようになりその幸福な光やここちよい暖かさがわが家まで及ぶ。そのとき、その宿世が「わが家までにほひ来」る)。
「『人(ひと)ひとり(紫の上)を(源氏が)思ひかしづきたまはむゆゑは(源氏が紫の上を思いかしづけば)、ほとりまでも(その人の周辺縁者も(つまり、自分たちも))にほふ例(ためし)こそあれ…』と」(『源氏物語』)。
「花の色は 雪にましりて(交じりて) 見えすとも かをたに(香をだに)にほへ 人のしるへく」(『古今和歌集』:花の香(か)がにほふ)。
・(にほひぬべく~、という表現) 
「草枕旅行く人も行き触ればにほひぬべく(尓保比奴倍久)も咲ける萩かも」(万1532:萩がにほふ。萩であるから、色彩的に染まりそうということでしょう)。
「我が背子が白栲衣(しろたへごろも)行き触ればにほひぬべく(應染)ももみつ(黄変)山かも」(万2192:これも色彩。黄葉(もみぢ)がにほふ。「もみつ」は黄葉(もみぢ)すること。あなたならその「白栲(しろたへ)」が触れただけで色彩豊かになる、ということ)。