・(にほふA、という表現) 
「春の苑(その)紅(くれなゐ)にほふ(尓保布)桃の花下照る道に出で立つ𡢳嬬(をとめ)」(万4139:にほふ桃の花。そしてそれは紅(くれなゐ)ににほふ)。
「妹が袖(そで)巻来(まきき)の山の朝露ににほふ(仁寶布)黄葉(もみち)の散らまく惜しも」(万2187:にほふ黄葉(もみち)。「巻来(まきき)の山」は未詳)。
「多胡の浦の底さへにほふ(尓保布)藤波をかざして(髪に飾り)行かむ見ぬ人のため」(万4200)。
「朝日影(あさひかげ)にほへる(尓保敝流)山に照る月の飽かざる君(きみ)を山越しに置きて」(万495:「にほへる山」にも「にほへる月」にも、どちらにも読める。そして朝日影。朝日が昇ったその日は男の旅立ちの日であろう。これは大宰府に赴任する男の歌。「君(きみ)」は女)。
「宮にはじめてまゐりたるころ……いとつめたきころなれば、(中宮定子の)さし出でさせ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅なるは、かぎりなくめでたしと、見知らぬ里人心地には、かかる人こそは世におはしましけれと、おどろかるるまでぞまもりまゐらする」(『枕草子』:にほひたる御手。「まもり」は視線を維持すること)。
「にほふひかけ(日影)に きゆるあさしも(消ゆる朝霜)  やまにとる たきき(薪)のみちの のにいてて(野に出でて)」(『菟久波集』)。
「橘のにほへる(尓保敝流)香かも霍公鳥(ほととぎす)鳴く夜の雨にうつろひぬらむ」(万3916:にほふ香(か)、という表現)。
「径に薫(ニホヘル)秋蘭」(『三蔵法師伝』:秋蘭ですから、この「薫(ニホヘル)」は嗅覚刺激でしょう)。
「弥生の二十日あまりのころほひ、春の御前のありさま、常よりことに尽くして匂ふ花の色、鳥の声」(『源氏物語』)。
「筑紫なるにほふ(尓抱布)兒(こ)ゆゑに陸奥(みちのく)の可刀利乎登女乃(かとりをとめの)結ひし紐解く」(万3427:兒(こ:年頃の女の子)がにほふ。「可刀利乎登女乃(かとりをとめの)」は、徒歩(かち)より乙女(をとめ)の、ということでしょう。どういうことかというと、男は陸奥(みちのく)にいる。彼には妻と言ってよいような親密な関係の女がいた。そして筑紫へ行った。大宰府へ行ったのでしょう。その地で、彼は、まるで妻が陸奥(みちのく)から遥かに徒歩でやって来て自分の下着の紐を堅く結んだような思いでいた。そして今帰り、その紐を解ける、ということ。つまり、筑紫の「にほふ娘(こ)」に心が動き妻を裏切るようなことはなかった、という歌)。「嬋媛 ……美麗之皃(かほ) 尓保夫又宇留和志」(『新撰字鏡』)。「嬋媛 タヲヤカナリ ウルハシ ニホフ」(『類聚名義抄』)。
「あひきやうの(愛敬の)こほるはかりに(零るばかりに)にほえるかたは…」(『浜中納言物語』:愛敬(人に好感を与える魅力)がにほふ)。
「五節のをり著たりし黄なるより紅までにほひたりし紅葉どもに、えびぞめの…」(『讃岐典侍(さぬきのすけ)日記』:ここで「にほふ」のは色彩)。