「にひおひ(似日覆ひ)」。「に(似)」はその項(3月21日)。「にひおひ(似日覆ひ)→にほひ」は、(天体たる)日(ひ)のような、日(ひ)がおよぼす影響のような、影響性が覆(おほ)ふこと。日(ひ)がおよぼす影響のような影響性とは、光、色、熱として環境一般化するような、それが自分が居る環境になるような影響です。これは生態的な影響性であり、この「にほひ」という動詞はものやことが、体験はしていないが、存在する想感覚とでもいうような状態になることを表現する。光や色の影響としては、それは日(ひ)の影響であり、とくに熱を帯びた赤系の影響です。ものやことも、具体的に体験はしていないが、体験環境化し感じられることも表現する(後世では悪事のにほひを感じたりもしますが、これは「にほふ」が「臭(くさ)い」と同じような意味でもちいられたりすることの影響でもあるでしょう)。「にほひ」は、古くは視覚刺激系、とくに赤系、を表現することが多いです、聴覚系、すなわち、人や鶯などの「声のにほひ」という表現もないわけではない(「うぐひすの声の匂ひをとめ(求め)くれば梅咲く山に春風ぞ吹く さのみ遠からぬ集の歌なり…」『正徹物語』)。原意としては、自分の居る世界に、心的に誘引し心を奪う日(ひ)が射しそれが自分がいる環境になるような心情になることがすべて「にほひ」なのです。この語は嗅覚刺激を表現する印象が強くなっていきますが、嗅覚系の刺激を表現したのは、記憶再起としての「にほひ」は、夜、暗闇でも生じることであり、「にほひ」の存在全的感覚感は嗅覚の原始性に親和的であり、「にほひ」という動態で表現されるその刺激効果は音その他よりも嗅覚系の刺激により起こることの方が一般的であったこと、また、嗅覚刺激による環境性をそれ以上的確に表現する動詞はほかになかったこと、などが理由でしょう。「嗅覚刺激による環境性を表現する」とは、たとえば「焦げ臭(くさ)い」は形容詞により嗅覚刺激が表現されていますが、「焦げているにほひがする」は、直接に嗅覚刺激が表現されているわけではなく、嗅覚刺激により感じられる環境性(そうした環境に自己があること)が表現されている。嗅覚刺激を追跡することを(匂いを嗅ぐことを)(Aをにほふ、という他動表現で)「にほふ」と表現する地方もある。
名詞たる「にほひ(匂ひ)」と「か(香)」「かをり(香)」の違いに関しては、「か(香)」「かをり(香)」の方が自分に刺激として感じられる何かへ向かう動態姿勢が積極的です(逆に言えば、それに誘引されている)。