◎「にほえ(匂え)」(動詞)
「にほえ」というヤ行下二段活用の動詞があると言われている。「尓太遙」(万3309)、「尓太要」(万4211)が「にほえ」と読まれる。万3309と同じような歌・万3305にある「香」もそれに関連し「にほえ」と読まれる。しかし「太」を「ほ」と読むのは不自然でしょう。「にほひ(匂ひ)」という語を連想しそう読まれたのでしょうけれど、不自然でしょう。この読みは「にたえ」であり、「にたえ」は、丹(に)と落(あ)え。「に(丹)」は赤系の色を意味し、「あえ(落え・熟え)」にかんしてはその項。「丹(に)と落(あ)え→にたえ」は、赤系の色がこぼれ溢れるような状態になっていることを表現する。表現されていることは「にほひ(匂ひ)」に似ている。「にほひ(匂ひ)」とはそういう動詞なのです(→「にほひ(匂ひ)」の項)。では万3305の「香」の読みは、ということになるわけですが、これは「にほひ」でしょう。万3309は柿本人麻呂歌集にあるとされるものであり、万3305と3307を合わせたような内容になっていますが、なんらかの理由により、柿本人麻呂に「にほひをとめ」という表現に抵抗があったのでしょう。客観的で色彩豊かな明瞭な表現にしたということかもしれない。そして「丹(に)と落(あ)え→にたえ」という表現がなされた。万4211は大伴家持によるものですが、これは柿本人麻呂の歌に影響されたものでしょう。
「…都追慈花 尓太遥越賣 作樂花 佐可遥越賣…」(万3309:つつじばな にほえをとめ さくらばな さかえをとめ)。
「…春花乃 尓太要盛而 秋葉之 尓保比尓照有…」(万4211:はるはなの にほえさかえて あきのはの にほひにてれる)。
「…茵花 香未通女 櫻花 盛未通女…」(万3305::つつじばな にほえをとめ さくらばな さかえをとめ)。

◎「にほし(匂し)」(動詞)
「にほひおほし(匂ひ生ほし)」。「にほひ(匂ひ)」の他動表現。「にほひ(匂ひ):色」を発生させる(染める)こと→「にほひ(匂ひ)」の項。
「…ま榛(はり)持ち にほほし(丹穂之為)衣(きぬ)に…」(万3791:これは、紫の衣、ま榛(はり)持ち にほほし衣(きぬ)、高麗(こま)錦、と描写が並んでいる。つまり、色彩の描写だということ。榛(はり)は染料にもなる)。

◎「にほてる(枕詞)」
「にほてる(荷炎照る)」。「に(荷)」は負担であり、重荷(おもに)。「ほ(炎)」は燃焼現象ですが、これが人の情熱をかきたてるなにごとかを表現する。「てる(照る)」は光を発すること。「にほてる(荷炎照る)」は、負担・重荷たる、人をそれへとかきたてるなにごとかが光を発していること。光を発しているそれは、もっとも本質的には、生命。この表現はさほど古いものではなく、せいぜい平安最末期か鎌倉時代初期あたりから。
「あふさか(逢坂)の やまこえはてて(山越えはてて) なかむれは(眺むれば) にほてるつき(月)は ちさと(千里)なりけり」(『秋篠月清集』(元久元(1204)年))。
「ささなみ(浪)や にほてるあま(海女)の ぬれころも(濡れ衣) うらかせさむく(浦風寒く) うたぬよもなし」(『続千載集』)。
「粟津野の尾花か風に散りやらでにほてる露は蛍なりけり」(『広本捨玉集』)。
「ささなみ(浪)や しか(志賀)のうらかせ(浦風) うみふけは(湖吹けば) にほてりまさる つきのかけかな(月の影かな)」(『新続古今集』:「志賀の浦」はようするに琵琶湖の浦であるが、この「にほてり」は「にほのうみ」(その項)が意識されているということか)。