◎「にぶし(鈍し)」(形ク)
「にみみうし(似耳憂し)」。「に(似)」はそれであるかのようななにかであること。「にみみうし(似耳憂し)」すなわち、それであるかのような耳が不安や疎(うと)ましさもともなうような虚無感が感じられる、とはどういうことかというと、聞(き)きがよくない→効(き)きがよくない、ということ。環境から加えられた刺激に対する反応・応答が期待されたような迅速性や明晰性がなかったりする。迅速明晰な切断が期待された刃物がそれをもたらさなかったりする。あるいは、人が、他者からの問いに対し迅速明晰な応答がなかったりする。あるいは、音や光に明晰感がなかったりする。
「紙をあまたおし重ねて、いとにぶき刀してきるさまは、一重だに裁(た)つべくもあらぬに…」(『枕草子』)。
「『…思したつほど、鈍きやうにはべらむや…』、」(『源氏物語』「幻」:出家を思い立つほど心の働きがにぶってはいないか、ということでしょう)。

◎「にふぶ」
この語は「にふぶに笑(ゑ)み」という言われ方がなされる。「にふふむふ(丹含む生)」。「に(丹)」は赤系の色であること、そうした色のものを意味する。「ふふむ(含む)」は内部に発生の予兆が感じられること。「ふ(生)」は、「しばふ(芝生)」などのそれであり、生ひ育つこと、生ひ育ったなにか。「にふふむふ(丹含む生)→にふぶ」は、事象のその奥に赤系の色彩が、暖かさや幸福感が、感じられ生ひ育つ、ふくらむ、ことであり、「にふぶに笑(ゑ)み」は、そのような笑みが感じられること。
「……我が背子はにふぶに(二布夫爾)咲(ゑ)みて立ちませり見ゆ」(万3817:歌全体の意味にかんしては「すは」の項・2023年4月29日)。
「囅然 ニココニ ニフブニ」(『類聚名義抄』)。
似たような語で、「にふふかに」が言われる。この語は万904の原文(西本願寺本)の「横風乃 爾母布敷可爾布敷可爾 覆来」の「爾母布敷可爾布敷可爾」を衍字による繰り返しがあるとみて「爾布敷可爾(にふふかに)」と読むことによりある読み。こう読むのは、たぶん、万3817の「にふぶに」の影響。この「爾母布敷可爾布敷可爾」は、「にもぬのしくかに ぬのしくかに(荷も布敷くかに 布敷くかに)」ということでしょう。繰り返しは事態の持続と深刻化を表現する。「に(荷)」は苦難であり、思いもしていなかったとき突然、そんな横風(よこかぜ(禍(わざはひ)の風)が世界全体に敷きつめ世界全体を覆うように吹き、なすすべを失った。
「…大船の 思ひ頼むに 思はぬに 横風(よこかぜ)の にふふかに(にもぬのしくかに ぬのしくかに:荷も布敷くかに 布敷くかに) 覆ひ来(き)ぬれば 為(せ)むすべの たどきを知らに…」(万904)。