◎「になひ(荷なひ)」(動詞)
「ににいはひ(荷に祝ひ)」。「に(荷)」(3月19日)、「いはひ(齋ひ・祝ひ)」(下記再記)はそれぞれの項。意味の基本は、助詞「に」がある動態情況にあることを表現しつつ、「に(荷)」に、「に(荷)」の動態情況で、「はひ(這ひ)」に、なるということなのですが、「いはひ」という語は、後世では、めだたいことを祝福しよろこびを表現する、といった意味になるのですが(→「誕生日のお祝ひ」)、原意としては、神聖感のある、人智の及ばない経験経過情況が動態感をもって作用する→「いはひ(齋ひ・祝ひ)」の項。つまり、「ににいはひ(荷に祝ひ)→になひ」は、私的判断の及ばない経験経過情況が動態感をもって作用しつつ荷(に)を、負担を、負うこと。
「常の恋いまだやまぬに都より馬に恋来ば担ひ(になひ:尓奈比)あへむかも」(万4083:これは「片思(かたおも)ひを馬にふつまに負ほせ持(も)て(持たせ)…」という万4081の返事のような歌)。
「蓋(けだ)し聞(き)く。人の後(つぎ)を爲(な)す者は、能(よ)く先(おや)の軌(あと)を負(お)ひ荷(にな)ひ、克(よ)く堂構(おやのこと)を昌(さかやか)して、勳業(いたはり)を成(な)さむことを貴(たふと)ぶ」(『日本書紀』)。
◎「いはひ(齋ひ・祝ひ)」(動詞):再記
「ゆいはひ(斎い這ひ)」。「ゆ」は「い」の音に交替しつつ「ゆい」は「い」の一音になった。「ゆ(斎)」は、人間には無い、人智の及ばない、経験経過があることを表現する→「ゆ(斎)」の項(「ゆには(斎庭)」など)。「い」は、指示代名詞のようなそれ→「い」の項。「はひ(這ひ)」は情況感覚感を表現し情況感が動態感をもって作用する→「はひ(這ひ)」の項。「はひ(這ひ)」は自動表現ですが(他動表現は「はへ(延へ)」)、たとえば、「を」が状態を表現し、「旅行く君をはひ(這ひ)」と言った場合、「女を生き」が、“女”と生き(女として生き)、のような意味になるように、それは「旅行く君とはひ(這ひ)→“旅行く君”と情況感が動態感をもって作用し」という意味になり、それが「旅行く君をゆいはひ(斎い這ひ)→旅行く君をいはひ」となった場合、それは「“旅行く君”と人智の及ばない経験経過それが這ひ(情況感が動態感をもって作用し)」という意味になり、“旅行く君”に人智の及ばない経験経過の影響が及び“旅行く君”がそれにより力を得、守られる。それが「いはひ(祝ひ)」の原意。すなわち、「ゆいはひ(斎い這ひ)→いはひ」は、神聖感のある、人智の及ばない経験経過情況が動態感をもって作用すること。「Aをいはひ」は、Aに関しそうなること。「大船に真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)きこの吾(あ)子を韓国(からくに)へ遣(や)る 斎(いは)へ(伊波敝)神たち(多智)」(万4240:この「いはへ」は、後世で言うような、祝福してください、という意味ではなく、この子の安全をまもってやってください、という意味)。
そして、その守りの効果は人智の及ばない経験経過(「ゆ(斎)」)の這ひを維持する(「いはひ」を維持する)その「いはふ(祝ふ)」主体の努力によって維持される。そうした「ゆ(斎)」の「這ひ」(「ゆ(斎)」が情況的感覚感となりその情況感が動態感をもって作用すること)を維持するために何かを「いはふ(祝ふ)」主体が歴史的、具体的に、どのようなことをすることでそれを現実化しようとしたかというと、たとえば、身をつつしむ(自分の身を飾るようなこともしない)、(ただ内心でだけでも)祈る(祈り続ける)、神意に(人智の及ばない経験経過を左右する力の主体の意に)かないそうな、何かを整え、備える(供える)、その他をする。つまり、環境それ自体を「斎(い)む」ような状態になる。「櫛(くし)も見じ家中(やなか)も掃かじ草枕旅行く君をいはふと思ひて」(万4263:あなたの旅の無事を祈り髪を梳かすこともしない家の中を掃くこともしない)。「まさきくて妹(いも)がいははば沖つ波千重に立つとも障(さは)りあらめやも」(万3583:あなたがいわってくれるならどんな困難があろうと悪いことなど起こるはずがない)。この、Aを「ゆ(斎)」をもって這(ふ)、という表現はAを汚されてはならない神聖感をもって保存し、のような意味にもなる。「自(みづか)ら七才の年より后(きさき)の宣旨をかうぶり(こうむり)いわわれ参らせて、余の男子にも近づかずして、后の位にいわわれしなり」(『熊野の本地』「御伽草子」)。
この「いはひ」は、それは良きことを希(ねが)ひ行われ、その「良きこと」を口にすること、祝言(シウゲン)を述べること、も「いはひ」と言い(「大海の水底照らししづく珠(たま)斎(いは)ひてとらむ風な吹きそね」(万1319)。この歌の前に「底清みしづける珠を見まく欲(ほ)り千(ち)たびぞ告(の)りし潜(かづ)きする海人(あま)」(万1318)という歌がある。万1318の「のり(告り)」が万1319で「いはひ(祝ひ)」と表現されている)、その言(こと)も事(こと)も「いはひごと(祝いごと)」となり、やがて、歴史的には、そのために人が集まり、飲み、食い、楽しく過ごし、めでたさを表現することが「お祝ひ」になっていく。『徒然草』第百七十五段に、泥酔して「祝ふべき日」にあさましいことになっている、という表現がある。鎌倉時代には「いはひごと(祝いごと)」がそんな状態になっているということです。