◎「につらひ」(動詞)
→「さにつらふ(枕詞)」の項(2022年7月13日)。
「我れのみやかく恋すらむかきつはた丹(に)つらふ(丹頬合)妹はいかにかあるらむ」(万1986:枕詞のようにもちいられる「かきつはた」にかんしては「かきつはた(杜若)」の項。「丹頬合」は「にほへる」とも読まれている)。
「かきつはた丹(に)つらふ(丹㓨(刺)經)君をゆくりなく(率尓)思ひ出でつつ嘆きつるかも」(万2521:「率尓」は「いささめに」とも読まれている。「丹㓨(刺)經」がなぜ「につらふ」なのかにかんしては、「丹(に):赤い色」が血を意味したということでしょう→「さにつらふ」の項)。
◎「にて(助詞)」
「にとへ(にと経)」。「~に」で表現される認了進行感(意味や価値の経験経過感)が「と」で思念的に確認され、それが経過しつつ、ということです。場所や社会的状態や方法などが表現される。「京にて生まれたりし女」。「舟にて運ぶ」。状態や社会的状態の表現は理由や原因にもなる。「竹の中におはするにて知りぬ」「山かげにて嵐も及ばぬ」「病気療養中にて…」。「下駄にて作る」は材料を表現し、「下駄に作る」は何かを下駄の形にしたり、下駄という物的位置に何かを作ったりする。後者(「に」)は、「作る」が「下駄」が認了進行している動態であること、下駄に(社会的な意味として)均質感を生じつつ作っていること、が表現されるのに対し、前者(「にて」)は、下駄が認了進行していること(下駄という社会的な意味が進行していること)が確認され、それを経て、「作る」という動態があることが表現されている。つまり、下駄を経て作っている、ということであり、これが、「作る」という動態の材料が下駄であることを表現する。この「~にて」は「~で」になる。
「川の上(へ)のゆつ岩群(いはむら)に草むさず常にもがもな常処女(とこをとめ)にて(煮手)」(万22:この「上(へ)」は「経(へ)」であり、そのあたり、の意)。
「(源氏を)女にて見たてまつらまほし」(『源氏物語』)。
・(動詞連用形につづく「にて」)
「~ぬ」で完了した動詞に「にて」がつづき「ぬ」が無音化する。「~となりぬ、にて→~となりにて」。この「にて」は文法では一般に、完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」に助詞の「て」が接続する、と説明されている。
「梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにて(奈利尓弖)あらずや」(万829:動詞連用形につづく「にて」)。
「ありきぬのさゑさゑしづみ家の妹に物言はず来にて思ひ苦しも」(万3481:枕詞「ありきぬの」にかんしてはその項)。