◎「にくし(憎し)」(形ク)
「にいきうし(荷行き憂し)」。「いき(行き)」は、自分自身に進行する、感じられる、思われる、ということ(→「いき(粋)」の項)。荷(に:負担)が行き(進行し→感じられ)心情的に不活性化しそこから解放され健全な平穏を得たくなることが「にいきうし(荷行き憂し)→にくし」。「紫のにほへる妹(いも)をにくく(爾苦久)あらば人づまゆゑに吾(われ)恋ひめやも」(万21:「人づまゆゑに」にかんしては「ゆゑ(故)」の項)。印象が心情的に不活性化するようなものであれば、見苦しい、や、みっともない、といった意味になる→「是(これ)は、此の比(ごろ)やうの事(最近のこと)なり。いとにくし。うるはしくは、ただくるくると巻きて…」(『徒然草』:経文の紐の結び方が見苦しいと言っている)。「なほ、このにくき御心の止まぬに、ともすれば、御胸をつぶし給ひつつ」(『源氏物語』:これは、まさに、心に重い、のような意)。心に感じられた「荷(に)」は、それに押しつぶされ敗北はしていないが、自分を圧倒しそうな印象の何かも表現する。「にくい剛の者かな」(『保元物語』)。また、動態が負う「荷(に):負担」は動態に障害感があることも表現する。「見にくい」、「言いにくい」、「読みにくい」その他。
この語は元来はさほど嫌悪感・憎悪感を表現するものではありませんがが、時代が下るにつれそれを表現するようになるのは語幹が同音の「にくみ(憎み)」の影響によるもの。「にくし」が「にくみ(憎み)」の心情を表現する語になっていくわけです。
「我れこそは憎(にく)くもあらめ我がやどの花橘を見には来じとや」(万1990:私のところへ行きたいなどと思ってはいないかもしれませんが)。
「としおひ(年老い)かたちもにくし、時なし、心のさがなきこと二つなし」(『宇津保物語』:見た目にも老醜があらわれている) 。
「御さきの声の遠くなるままに、(涙が溢れその涙の海に)海士(あま)も釣すばかりになるも、「我ながら憎き心かな」と、思ふ思ふ聞き臥(ふ)したまへり」(『源氏物語』:この「憎(にく)き心」という表現は、荷を負っている心、心的負担のある心、という意味)。
「にくきもの 急ぐことあるをりに来て長言するまらうど(客人)」(『枕草子』)。

◎「にくみ(憎み)」(動詞)
「にいきうみ(煮行き倦み)」。煮(に)が進行した状態で倦(う)む、という表現。熱が生じ、こもり、高まっていく状態で心情的に不活性化しそこからの解放欲求が高まっていく。その心情の浅さ深さ、軽さ深刻さはいろいろです。「…か行(ゆ)けば人に厭(いと)はえ かく行(ゆ)けば人ににくまえ(邇久麻延)…」(万804:これは、忌み嫌われ嫌がられ、のような意)。「人、死を憎(にく)まば生を愛すべし」(『徒然草』)。「にくむ」心情(非難的心情)を表現すること、とりわけ、そうした言語表現すること、も「にくみ」と言う。「『よからぬわざしけり』とにくめば」(『源氏物語』)。
「天皇(すめらみこと)、則(すなは)ち其(そ)の不孝(おやにしたがはぬこと)の甚(はなはだ)しきことを惡(にく)みたまひて、市乾鹿文(いちふかや:人名)を誅(ころ)す」(『日本書紀』)。
「内裏(うち)より御使あり。三位(みつのくらゐ)おくり給ふよし、勅使来て、その宣命読むなん、悲しきことなりける。「女御」とだに言はせずなりぬるが、あかず口惜しう思(おぼ)さるれば、いま一階(ひときざみ)の位をだにと、おくらせ給ふなりけり。これにつけても(桐壺を)にくみたまふ人びと多かり」(『源氏物語』)。
「『……老いぬる人は、むつかしき心のあるにこそ』とにくむは、乳母やうの人をそしるなめり」(『源氏物語』:非難をこめ言う)。
「…いさゝか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ(私は、そうだろうか?と思う)」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば…」(『徒然草』)。