◎「に(煮)」(動詞)
(たとえば食用にしようと思っている植物を)「これを湯(ゆ)に」と言い(「に」は助詞。この「に」は場所を表現するわけではない、湯の影響状態に、ということ)、熱水中で加熱加工されたものを「湯(ゆ)に」と表現し、「ゆににてくふ(湯ににて食ふ)」→「湯に煮て食ふ」といった表現を行い、「に」が湯で加熱加工することを表現する動詞となった。活用は上一段活用。終止形、連体形は「にる」。自動表現「にえ(煮え)」。
「於是(ここに)大御羹(おほみあつもの)を煮(に)むと爲(し)て、其地(そこ)の菘菜(あをな)を採(つ)む時に…」(『古事記』)。
「春日野(かすがの)に煙立つ見ゆ𡢳嬬(をとめ)らし春野の菟芽子(うはぎ)摘みて煮(に)らしも」(万1879:「うはぎ(菟芽子)」はヨメナの古名・別名)。
「食薦(すこも)敷き蔓菁(あをな)煮(に)て来む梁(うつはり)に行縢(むかばき)懸けて息(やす)むこの君」(万3825:「食薦(すこも)」は食事の際の敷物。「行縢(むかばき)」は騎乗の際の下半身衣類(というか、装備)。これは、さまざまな物をおりこめ、という課題の宴席での余興の戯歌)。
「煮 ………ニル」(『類聚名義抄』)。
◎「に(似)」(動詞)
「お前は「Aに」にゐ→お前はAに似(に)」という表現から「に(似)」が動詞になった。「Aに」に居(ゐ)る、とは、Aにあり、という状態で存在している、ということであり、「お前はA似(に)」は、「お前」は「A」がそこにいるような状態なのです。それが「に(似)」。この動詞は上一段活用。終止形・連体形は「にる」。
「あな醜(みにく)賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む」(万344)。
「川風の寒き泊瀬を嘆きつつ君が歩くに似る人も逢へや」(万425:似る人がやって来(き)はしないか…。これは挽歌に添えられた歌。亡くなった人を思っている)。
「我が宿の梅咲きたりと告げ遣(や)らば来(こ)と言ふに似たり散りぬともよし」(万1011:これは冬の宴会での歌。梅が咲いたと知らせたら、それは、来なさいよ、と言っているようなものなのですよ。梅は散ってもかまわないんですよ(あなた方にまた会いたいのです)、ということか)。
「『亡(う)せたまひにし御息所(みやすどころ)の御容貌(かたち)に似たまへる人を…』」(『源氏物語』)。
「『…着たる物のさまに似ぬは(人の、人間性の尊さや卑しさ、美しさや醜さと着るもののそれが似合わないのは)、ひがひがしくもありかし』」(『源氏物語』:この場合の「ひがひがし」は、人間性が健全な発達をせず歪んでしまっている、のような意味になるでしょう。「ひが(僻)」はその項)。