◎「なゐ(地震)」
「なえいゐ(萎えい居)」。「なえ(萎え)」(「え」はY音)は、自己を構成する構成力が弱まりその動態も不安定な動揺したものになること。「い」は動態の持続を表現し、「ゐ(居)」は存在・現実化が持続感をもって、たしかなこととして、自己受容されている。つまり、「なえいゐ(萎え揺い居)→なゐ」は、現実たる存在が、存在世界が、自己構成力が弱まり、不安定化すること。自分が立つ足下(あしもと)が喪失するように世界が崩れていくような状態になる。これは後世では「ヂシン(地震」と言われるわけですが、古くは、地が震(ふ)れる、や、揺(ゆ)れる、という表現ではなく、地が崩れ崩壊する、という表現になっている。
「臣(おみ)の子(こ)の 八節(やふ)の柴垣(しばかき) 下動(したとよ)み なゐ(那爲)が揺(よ)り来(こ)ば 破(や)れむ柴垣(しばかき)」(『日本書紀』歌謡91)。
「地動(なゐふ)りて舎屋(やかず)悉(ことごと)く破(こほ)たれぬ」(『日本書紀』)。
「地震 ナヰ」(『類聚名義抄』)。    
「NAI, ナ井, 地震, n  Earthquake.  Syn. JI-SHIN.」(『和英語林集成』)。

◎「なをり」
『古事記』の歌(歌番号108)にある表現です。「魚居り」(魚のいる状態。魚がどうなっているか)、「汝居り」(お前のいる状態。お前がどうなっているか)、「名折り」(名を折る。名誉が傷つけられること)――そんな読み方ができる。つまり、そんな意味が込められているだろうということ。
「潮瀬(しほせ)の なをり(那袁理)を見れば 遊び来る 鮪(しび)が端手(はたて)に 妻立てり見ゆ」(『古事記』歌謡108:これは「清寧天皇記」にある歌争いでのものですが、志毘(しび)氏と魚の鮪(しび:鮪(まぐろ)などの類の総称)と、彼が誘った女の名、大魚(おほうを)、にかけ、魚と魚か、と笑ったものでしょう)。