「なりフほど(成歩程)」。「成歩(なりフ)」は将棋で言われる語であり、前に一枡(ます)進むだけの(将棋の駒たる)歩(フ)が相手陣地で裏へ返り(駒たる)金(キン)と同じ動きができるようになり力が増すこと、およびそうなった駒を言う。「なりキン(成金)」とも言う。歩(フ)以外の駒でも相手陣地でそうなることがあり、これもすべて「なりキン(成金)」であるが、「成歩(なりフ)」は歩(フ)がそうなることであり、歩(フ)は将棋の駒の中でその活動力として最弱です。その最弱の駒が金(キン)と同等の力になること、なったそれ、が「成歩(なりフ)→なる」。「ほど(程)」は程度(特異的発生の強度)ですが、「成歩(なりフ)」の程度、とはどういう意味かというと、最弱の駒が「成歩(なりフ)」により金になるということは、あらゆる歩(フ)に潜在的にその能力・力はあり、現実には現れても作用してもいないが潜在的にある能力・力の程度、が「なりフほど(成歩程)→なるほど」です。その場合、その潜在的な力は期待されている場合と予想外の場合がある。期待されている場合、「なるほど」は、期待される力のかぎり、という意味になり、予想外にそれが現れ作用している場合は、そんなこともあるのか…、と感心する表現にもなる。ちなみに、この「なるほど」の「なる」は「なるたけ」「なるべく」の「なる」でもある→「なるたけそうしてください」「なるべくそうしてください」。
「『どれでもかまはぬ。此所でなる程(ほと)いき過ぎて、男ふるほどの女郎よべ』」(「浮世草子」『好色一代男』:「いき過ぎて」は、意気(人より)過ぎて、でしょう。心意気が強い。「なるほどいき過ぎて」は、歩(フ)が金(キン)になるほど心意気がつよくて(人間的に潜在的にそうなる力をもっていて)、ということ)。
「『そのやうに云うて、皆様が召すものか(買うものか)。なるほど慇懃に売れ』」(『狂言記』「昆布売」:もっているでき得るかぎりの能力で)。
「其日、(内々の挨拶があるかと)夜まで相待(あひまつ)に、其儀なく。もし又、善太夫他行(たぎやう)の事もと(外出でもしているかと)、聞きあはすに、成程(なるほど)宿に有ながら、踏付(ふみつけ)たるしかた…」(「浮世草子」『武道伝来記』:歩は金となり(挨拶に来る)その能力を得ている状態にありながら…)。
「女『…。その上私は夫(をつと)がござる』 鬼『いやいや、男はあるまい。をれが女房にせふ』 女『成程、おとこがござる。夫故此子がござる』」(『狂言記』「鬼の養子」:「男がある」という事象が、歩が金になりその能力・作用を増すように、その確かさを増し、男がある。それゆえ、この子がある(男がなければ子があるはずないでしょう、と言っている))。
「のぼせば此奴がのぼされて、成程(なるほど)盗んでくれうといふ」(「浄瑠璃」『丹波与作待夜の小室節』:「のぼせ」は、もちあげる、おだてる、のような意。「成程(なるほど)盗んでくれう(盗んでやろう)」は、盗むことが、歩が金となり力をまし働きを強めるように、もっともだ、という状態になっている)。
「なるほど人が居ると見えて,松明を投げたれば、踏み消した」 (「謡曲」『烏帽子折』:事象が「なるほど」という表現であり、「人が居る」という事象が「なるほど」(歩は金となり力(説得力)をますほど))。
「『…何でも今の世の中は、力も無くッちやァ女が惚(ほれ)ねへとは可笑(おかし)な理屈に成(なる)ものさ』 喜次『成程(なるほど)、大造(たいさう)な事を云やアがるのヲ』」(「滑稽本」『七偏人』:これは、最初の台詞は第三者のものであり、喜次と飛公がそれを聞きつついろいろと言っている。その第三者の発言内容が「なるほど」なことだと言い、「云やアがる」と言い捨てている)。
「『慥成(たしかなる)証拠があるか』『成(ナル)ほど、年よりたる母が証拠で御座ります』」(「咄本」『軽口御前男』「火燵の過怠」:証拠として言うことが「なるほど」なこと、歩が金となる有力なこと)。