「ねゆあり(音ゆ有り)」。「ゆ」は事象・経験経過があることを表現する助詞(→「ゆ(助)」の項)。この場合表現されるのは、事象発生の原因。「ねゆあり(音ゆ有り)→なり」は、響きにより事象がある、ということであり、そう聞こえる、のような意味になる。この表現は「なり」の前で文は終了し(つまり、動詞などの終止形につづき)、…そう聞こえる、と表現される。
「豊葦原(とよあしはら)の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂国(みづほのくに)はいたく騒(さや)ぎてありなり(那理)」(『古事記』:「騒(さや)ぎてあり」という音(ね)あり、という表現になる)。
「暁(あかとき)に名告(の)り鳴くなる(奈流)霍公鳥(ほととぎす)いやめづらしく思ほゆるかも」(万4084:名告(の)り鳴く 音(ね)ある霍公鳥(ほととぎす))。
「もの思(も)へば 雲ゐに見ゆる 雁(かり)が音(ね)の 耳に近くも 聞こゆなるかな」(『和泉式部集』)。
「天漢(あまのがは)相(あひ)向き立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き設(ま)けな」(万1518:君来ます 音(ね)あり 紐解き…)。
「『………』と聞こゆ。この、かう申す者は、滝口(たきぐち:警護武士)なりければ、弓弦(ゆづる)いとつきづきしくうち鳴らして、『火あやふし』(火の用心)と言ふ言ふ、預(あづか)りが曹司(ざうし:管理者の部屋)の方に去ぬなり」(『源氏物語』:弓弦(ゆづる)の鳴る音や声だけが遠ざかりつつ残り消えていった)。
「汝(な)をと吾(あ)を人ぞ離(さ)くなる(奈流)いで吾(あ)が君(きみ)人の中言(なかごと:ある人と他の人たちとの関係にかんし第三者が言うさまざまなことであるが、その人にかんする誹謗や中傷を言う)聞起名湯目」(万660:「いで」はなにごとかを確信的に促す(その項)。最後の「聞起名湯目」は、一般に、「ききたつなゆめ」や「ききこすなゆめ」と読まれている。「こす」は、起(お)こす、の「お」がおちていたり、「恋(こ)ふ」などの連想から願望を表現したりということか。思うに、この読みは、「も起(お)こすな、ゆめ」でしょう。つまり、「聞」は文字で意味を表現しつつ字音。意味は、(中言(なかごと)にかんし)そういうことも…という思いもゆめゆめ起こさないで、ということ)。