「~にあり」。「に」のN音とI音による認了進行はつづく動態(動詞)の状態がどういう状態なのか表現する。「あり」によりそういう状態が現れ存在化していることが表現される。「彼こそ武士なり」(彼に「武士」という理念の理想的あり方が具現化し現れている)。「AなるB」が、Aという場所・環境に存在するB、も表現する(場所・環境がBの状態なわけです。つまり、たとえば「家なる我が妻」は、妻が自分の家であることも、家に居る妻、もどちらも意味しますが、そのどちらを意味するかはそこで言われていることの前後関係できまる)。
・「『そういい(言ひ)なつては(なりては)、今いつた(言った)事をうそだといい(言ひ)なるのかへ』」(「洒落本」『品川楊枝』)といった用い方の「なり」もありますが、これは断定の助動詞「なり」ではなく、関西方面に、S音がH音化し、「ありません→ありまへん」「そうしなされ→そうしなはれ」になるような変化がありますが、この「なり」は「なさり」の同じ変化「なはり」の「は」が退行化しているのでしょう。これは遊郭に端を発するいささか特異な表現。
「山越しの風を時じみ寝る夜おちず家なる妹を懸けて偲ひつ」(万6)。
「尾張(をはり)に 直(ただ)に向(む)かへる 尾津(をつ)の崎(さき)なる(那流) 一(ひと)つ松(まつ)…」(『古事記』歌謡30:「尾津(をつ)の崎(さき)」は後の三重県桑名市と言われる。「松(まつ)」に「待(ま)つ」がかかっているということでしょう。刀の持ち主(倭建命)の帰りを待ちこれを守った、ということ)。
「この御酒(みき)は 我(わ)が御酒(みき)ならず(那良受)…」(『古事記』歌謡)。
「旅なれば夜中をさして照る月の高島山に隠らく惜しも」(万1691)。
「大伴の御津(みつ)の浜なる忘れ貝家なる妹を忘れて思へや」(万68:「御津(みつ)の浜」は後の大阪湾)。
「思ふゑに(ゆゑに)逢ふものならば(奈良婆)しましくも妹が目離(か)れて吾(あれ)居らめやも」(万3731)。
「汝(いまし)たち諸(もろもろ)は吾(あが)近(ちかき)姪(をひ)なり(奈利)」(『続日本紀』「宣命」)。
「玉葛(たまかづら)花のみ咲きてならざるは誰(た)が恋にあらめ吾れ恋ひ思ふを」(万102:これは「~にあり」)。