◎「なり(成り)」(動詞)
「な」はN音とA音により全的認了を、すなわち、完成を、表現する(→「な(二人称)」。その「・N音の語音性」)。「なり(成り)」はなにかが完成する。ある対象に全完的認了感があれば理想との均質感が生じ完成感になる。完成するなにかは、ものもあればこともある。「(木の)実がなる」。「事がなる」。状態の完成感なども表現する。「大きくなる」。「なり」がそこでできあがっている状態を表現することもある。「大きななりをして」。「身なりをととのへる」。客観的な情況も言う。「約束の時間になる」。「あんなやつに先を越されてなるものか」。動態の進行にそのまま完成感がある場合、突然、のような意味になる。「いきなり(行きなり)」。動態が完成しないことの表明は禁止にもなる。「そういうことは言ってはならない」。
これは他動表現もある。その意味は、完成・成立させること。その他動表現「なり(成り)」の名詞化した「なり」は、自分が従事している仕事、生業です→「なり(業)」の項(3月8日)。
「…親無しに 汝(なれ)なり(奈理)けめや…」(『日本書紀』:人に(存在として)なれるか、ということ)。
「或は秋大風洪水などよからぬ事どもうちつづきて、五穀ことごとくならず」(『方丈記』)。
「君が往きけ長くなり(那理)ぬ…」(『古事記』歌謡88:この「け」は「かへ(日経)」。日が経(た)つこと→「け(日)」の項)。
「見るままに、いとうつくしげに生(お)ひなりて…」(『源氏物語』)。
「大事なる人のうれへ(訴え)をも其(その)きぬ(衣)をきて、しらぬやんごときなき所にも参りて申させければかならずなりけり」(『宇治拾遺物語』:訴えどおりにことがなる)。
「すねにあかがりがきれてござるところで……六こんへこたえてうづきまらするほどに、ましてやわたる事は中々なりまらせぬ」(「狂言」『胼(あかがり)』:動態や作業が完成しない→できない)。
「座敷にならずば軒の下、木部屋になりともたつた一夜を。イヤならぬ…」(「浄瑠璃」『神霊矢口渡』)。
「『お前は煙草がなるか』『いや、おれは喫(の)まぬが…』」(「歌舞伎」『傾城浅間嶽』:これは、煙草が習慣的動態として完成しているか、という言い方なのですが、お前は煙草が吸えるか、や、お前は煙草を吸うか、という意味になる。これは酒にかんしよく言い、その場合は「ひとつ(一つ)なる」という言い方をする。「ひとつ」は、宴席で徳利を手に『まぁおひとつ』と酒をすすめたりするあれであり、「一杯」ということ。一杯が動態や習慣として完成しているということは、酒を呑む、さらには、酒がのめる、酒好き、といった意味になる。「お前はひとつなるか」が、酒は好きか、という意味になる。「『此鬼も酒が一つなるいヤイ』」(「狂言」『をば(伯母)が酒』:野上記念法政大学能楽研究所蔵「大蔵八右衛門派三冊狂言本」巻二。文末の「なるいヤイ」は、なる(成る)類(ルイ)やわい、か、「や」は呼びかけであり、「わい」は、「これは大変だわ…」などの「わ」(「わ」の項)に「はい」は(自己への、納得の)返事。この台詞は鬼のふりをした男が言っている)。
「殿のおなり」(殿の存在が現れる)。

◎「なり(鳴り)」(動詞)
「ねはり(音張り)」。「ね(音)」が情況的に感じられる状態になること。
「…はろはろ(遥々)に 家を思ひ出 負ひ征矢(そや)の そよと鳴る(奈流)まで 嘆きつるかも」(万4398:「そよと鳴る」は、後世では、さやさや鳴る、などと書かれるでしょう。押し殺すように泣き、身がふるえ、負った矢がさやさやと触れあう)。
「『なりたかし(鳴り高し)』『なりやまむ(鳴り止まむ)。はなはたひさうなり(はなはだ非常なり)』」(『源氏物語』:やかましい。静かにしなさい、もってのほかだ)。
「こほこほとなるかみ(鳴る神:雷)よりもおとろおとろしく…」(『源氏物語』:「こほこほ」は後世では「ゴオゴオ」などと書かれる擬音)。